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28歳フリーランスがUターンして1年経過した

長野にUターンしてちょうど1年が経過しました。いったんいまの状況をまとめておこうと思い、久しぶりに筆をとっております。

▼軽く自己紹介

あいめい
1990年うまれ、長野県安曇野市出身。
通信制高校を卒業後、都内の某私立大に入学。学生時代はひょんなきっかけでNPOでのボランティア活動にのめり込み、災害復旧救援・地域活性化などの活動に携わる。

学生ボランティアの後方支援にも関心をもち、SNSを通じた情報発信の活動に従事。そのときに、インターネットがもつチカラに未来を感じ、Webマーケティングの仕事につくことを志す。

卒業後は、都内のWebコンテンツ制作会社に勤務し、企業向けのWebメディアの運用やSNSマーケティングの支援をおこなう。ソーシャルスタートアップの広報担当を経て、2018年に長野県安曇野市にUターン。フリーランスのWeb編集者・広報として活動中。

▼なぜ長野に帰ろうと思ったか

・日本各地に行くたび、故郷に想いを馳せている自分に気づいたから
・前職を体調崩して辞めることになったとき、東京で再就職するイメージが持てなかった
・30歳を前に、帰るなら今だなと思ったから
・長野県が最大約6か月おためし移住の機会を提供する「おためしナガノ」に受かったから

▼仕事がない上に、転職活動向いてなくて参った

上の理由から長野にかえることを決断し、約10年過ごした東京を離れることにしたわけですが、Uターンするうえで一番困ったのが「仕事」。

まずは正攻法で転職サイトに登録して活動を進めましたが、なかなかうまくいかなかったのです。

1)スキルを活かせる職場がない
東京では「WEBディレクター」「編集者」と言われるような仕事をしていました。企業の広報やマーケ担の方や広告代理店さんと一緒に、SNSやオウンドメディア、LP、メルマガなどWEBの媒体を使って情報発信のお手伝いをする仕事です。すなわち、テキストを中心とした「コンテンツ」をつくることがメイン。

転職サイトで、スキルを活かせるようなWEBコンテンツ制作会社や編集プロダクションを探してみるものの該当する求人がない。もう少し大分類で、WEB系という観点だと「WEB制作会社」はいくつかヒットするものの、WEBサイトをつくることは私の専門外…。WEB制作会社への転職は、ほとんどイチからの修行が必要でキャリアのイメージがもてず断念。

東京では当たり前なことも、地方だといきなり少数派になるのは田舎あるある。


2)転職活動に向いてなかった

転職先のもう一つの候補としては、インハウスに転向して大きめな企業の広報職になるという手がありえたのですが、企業の募集要項はみているだけでアレルギー反応が出そうに…。

遡れば、新卒の就職活動もあまり積極的には行ってませんでした。どうしてもリクルートスーツを着るのが嫌だったし、圧迫面接と称して不合理な対応をされることが耐えられなかったのです。

結果として就活は、大学時代の先輩がいたベンチャー企業に面接1回だけでどうにか潜り込むことができ、5年ほど会社員生活を頑張ることができました。2社目のソーシャルスタートアップは業務委託で雇用契約はないフリーランス。

ベンチャー、スタートアップと特殊なキャリアを重ねてきた私は
・毎日定刻で動くことが耐えられない
・生産性のない不合理な状況も耐えられない
・組織のしきたりがわからない
・一番年上でも40代の人としか仕事したことない
といった具合…。

特に「自分の想いやリズムを尊重できること」を人生のうえで大切にしたいという気持ちがあったものの、
要項をみていると
「8:00出社・土曜出勤」(起きれる気がしない…)
「SPI必須」(算数苦手すぎる…)
と要求される内容に自分が対応できない(不向き)であろうことがひしひしと感じられてきたのです…。
結局、企業の扉を叩いていないので実際のところはわかりませんが、私の生態上、モダンな企業で働くことは難しいように思われ、転職活動を断念しました。

▼フリーランスで生き抜く

そんなわけで転職活動を諦め、ひとまずフリーランスで自分ができることをやってみることに。
かねてから周囲にはフリーランスも多い環境だったので、フリーランスになることに抵抗はありませんでした。行きたいと思える会社がないから、やるしかないという感じ。

当初はクラウドワークなどで稼ごうと思っていたのですが、ありがたいことに東京時代の会社から業務委託でお仕事をいただけることになりました。
(本当によかった…)

そして、条件であった半年間の東京常駐を経て、2018年8月長野に帰還。長野で、東京の仕事をリモートワークで対応する生活が始まりました。


▼1年間やってみたところの感想と学び

■仕事について
・収入面
メインはリモートワークしている東京の仕事。
正直なところ、東京の仕事は安定した収入が見込めるので、毎月の不安がないのは本当にありがたい。収入面の不安は精神衛生にはマジでよくない。

・リモートワークで大切なこと
情報共有はチャットツールが主なのですが、テキストの情報だけでは社内の状況や雰囲気を判断しにくいのがよろしくない。人によっては(たぶんそんなつもりはないのはわかっているけど)、ちょっと上から目線に感じてしまったり、メッセージの背景がわからなすぎて「むむ…」と思ったりすることも…w
認識をあわせていくために、ときは電話したり、定期的に顔を見合わせたりすることが大事と学びました。

・お仕事開拓
ご縁で長野県の仕事も少しずつ増えてきて、2019年夏現在は仕事の割合としては東京6割、長野4割くらい。だいたいトータル10件くらいの案件が並行して動いてます。長野の仕事は増やしたいと思うものの、企業さんとの接点がもてずまだ二の足を踏んでいる状態。

ライスワークとライフワークのバランスをもうちょっとうまく配分したいけれど、70点くらいの状況。ひとまず目の前のことを頑張ってます。

■生活について
・2拠点生活
月の半分ちかく東京にいることもあれば、月に1日だけ日帰り出張という月もあったりしながら、長野と東京の2拠点生活を実施中。東京でどうしても対面で打ち合わせしないといけない仕事があるというの環境も大きいけど、やっぱり仕事を含め、東京には水準が高いものが揃っている。

東京で求められる仕事の内容にちゃんと追いついていくことが必要だし、地味に美容院とか病院は、東京の行きつけが安心する。あと、電車広告とか、ちょっと街でやってるイベントなんかも情報の量と鮮度は東京が一番。

・生活リズム
企業さん相手に仕事しているのもあり、基本的に土日は休むって決めています。フリーランスだから、仕事をいつするかは自由だけど、私はこの日は休むって決めないと気持ち的にオン状態が続いてしまって、体調を崩してしまうみたいです。でもだいたい土日に主催イベントや友達のイベントが入ったり、納期迫っているときは仕事したりすることもあって、完全に切り分けてるわけではない。

・居場所づくり
地方にすべてのこだわりをもつのではなく、東京とのつながりをもち、東京にも居場所を置きながら、長野にいるのが自分には合っているみたいです。

とはいえ、せっかくだから長野でも知り合いを増やしたい…ということでイベントを主催したりしています。

▼総合的な評価

結果としては、長野に帰ってきてよかったなと思っています。
独立して東京常駐をしていたときは「自分は何者なんだろう…」といった禅問答をしばしばしていましたが、動き出してみてからはそういう気持ちもすっかり晴れて「まあやってくしかない」と思えるようになりました。やろうか悩んでいるより、やったほうがすっきりするのは間違いない。

あと、やはりこちらの生活のほうが自分の性(しょう)に合っているという実感は日に日に強くなっています。

― 季節によって変わる風のにおい
― 見上げると満天の星
― 窓から見えるまぶしい緑
― 見守ってくれる雄大なアルプス

こういうふとした風景に、グッとくるんですよね。
少々不便なことは帳消しにされます。

高校生のころは、東京に出たくて仕方なかったけれど、いまは自分の幸せの総量を増やすためにUターンという選択をしてよかったと思っています。これから人生を歩んでいくうえで、また適した地に移ることもあるかもしれません。

でも、いまはここがいい。
都会か田舎かではなく、都会も田舎も。

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