そこにあるもの
ベッドがあって、羽毛布団があって、枕があって、本があって、読書灯があって。
私は今、自分の肌に触れているものをまずは意識してみた。
次は触れてはいないけど、そこにあるものを意識してみる。
…んー、むずかしい。
そこにあるのものなのに、たくさんありすぎるし、どこの範囲までが「そこ」か、わかりにくい。
物質ですら難しいのだから、
「相手の気持ち」などというものは、意識しづらくて当然なのかもしれない。
では、自分の気持ちはどうだろう?
自分の中にあると思われる「気持ち」。
そこにあるはず、触れているはずである。
しかし、いまいちわかりずらい。
それは、気持ちの「名前」を自らでつけてあげなくてはいけないからだと思われる。
「羽毛布団」のように名前が決まっていないのだ。
それは、
怒りなのか、不安なのか。
喜びなのか、安心なのか。
楽しみなのか、期待なのか。
悲しみなのか、同情なのか。
…ねえ、こんなことを考える夜があってもいいと思わない?
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