以前、アメリカ各地でプロテストを通り越し暴動にまで発展した人種差別問題。(ちょっと語弊がある言い方をしたが、抗議活動と暴動は全く別の人がやっていたことはちゃんと知っている。)

私は自分自身が差別されたと感じた事は一度だけ。
中学生のとき、フランスで、持ち物にローマ字で書いてあった名前を馬鹿にされながら笑われた時。
何度も繰り返し名前を呼ばれながら、笑われた。
どうしていいかわからず、俯いて黙ってた。
フランス語がわからないから何を言われてたのかわからないけれど、「なんだか嫌だな」って感じた。


いや、いまになってよく考えてみれば、同じくらいの年齢の子供にされたこと。それを差別だと今になれば思わない。
相手もまだ子供で、知識や思慮が足りなかっただけ。



私はイエロー。ジャパニーズ。
そこに誇りは……とくにない。正直いって。
自分が何者か、世界での立ち位置、そんなこと深く考えたことすらない。おそらく、これはわたしの考えだが、こういう意識というか感覚が“差別”を生んでいるんだと思う。
普段、何も考えず、まわりの強い流れにそのまま流されて生きているような、私のような人間が。


ツイッターやインスタグラムでばんばん流れてくる映像や言葉に、すべてを知った気になって、流されていく。
行き着く先はどこかも知らずに。
他者の意見の取捨選択はするものの、自分の考えを持つほどの経験や知識もない。
ただ、なんとく、世界の流れに流されて生きている。
メディアに踊らされ、揺さぶられ。




さて、私は、自分の差別的な思考といつも戦っているのは、前回のノートの通り。
人種差別だけじゃない。出身、性別、学歴、病気、障害、仕事、年齢、体型、価値観、、、あげたらキリがないほどに、様々な事柄に対して、ふと、「あ、いま、差別的な考えが頭をよぎった」と自己嫌悪に陥る。

例えば「やっぱり黒人は骨格や筋肉の質が違うからかっこいいな。アジアの体型は、、、」とか。「男なのに愚痴っぽい!」とか。「普通はさー…」とか。「あ、うちの子自閉症だから、これは無理だな」とか…!!!!!!
非常に非常に、嫌になるほど、私は根っから腐っている。
口にこそ出さないものの。こういう思考をしてしまう。
そう、自分自身すら卑下し差別している。…自分の家族すらも。

そんな自分が嫌で、自信のあるフリをし、強いフリをしている。

こんな自分を変えたいのに。もがいてももがいても、口に出さないのが精一杯。頭の中には差別がある。



だけど。
ある程度の知識や考える力があれば。
誰かを傷つけることだけは防げる。
どんなことが差別になるのかを知り、口に出す前に考えられる力があれば…。何か頭に浮かんでも自分の心の中にだけ留めておいて、ひっそり、静かに生きればいい。そう思い生きている。
だから私は積極的に知識を得ようと努力するようになった。
流されるのではなく、流れをキャッチするようにした。

また、社会の問題と向き合ったりすると、自己理解が深まる。自分はこう考えている、ということをアウトプットすることにより、己がより浮き彫りになる。




私は頭が良くない。言葉を紡ぐことも下手くそで、頭の中で高速回転する想いの中で適切な言葉だけを出すためには一瞬思慮する必要があるということを覚えたのはごく最近だ。

コロナになり、会えなくなっても関係がきれない人もいれば、この2年連絡をとらないままになっている人もいる。




……と、ここまで書いて一年放置していたnoteを発掘したのでアップロード。途中だけど。この先何書こうと思ってたかなんて、忘れちゃったよあたりまえに。アディオス!!



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