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地獄の混ざる場所

Facebook、やってますか?

わたしは2012年からやっています。2012年といえばまだ大阪にいて、わたしは26歳でした。
SNSを新しく始めたときはいつもそうですが、使い方がわからないなりにちょこちょこ投稿をし、利用してきました。
本名での参加を原則とするSNSということで見覚えのある名前がいくつか「知り合いかも?」とサジェストされ、中学卒業以来疎遠になっていた友人とFacebook上で再会したり、学生時代に出会ったバイトの同期などなど、友人と呼んで差し支えない人から、合コンで一回話しただけだけど…という人まで、いろいろな人とつながっています。

上京してフリーランスになり、お仕事で出会った人とはなぜかまずFacebookでつながるようになりました(FBやってます?と聞かれることが多い)。
確かに、Facebookにはメッセンジャーもあるし、グループ機能もあって「もくもく会(フリーランスがオンライン上、またはオフラインで集まってもくもくと作業をする会)」みたいなグループを作れるし、その他もまぁゆるやかなつながりを維持するには便利で、タイムラインが流れてしまいやすいtwitterと比べるとお仕事関連のお知らせなんかにも有用だなと思いながら、使い続けています。

つまり、Facebookで「友達」として存在しているのはリアルな意味での友達(+同級生など、これまでに何らかの縁があった人)と、お仕事を介して知り合った方が主。これからも後者はどんどん増えるだろうなと思っています。
同業ではないにしても、何らかの関連があったり、相手の仕事とわたしの仕事がからまるときがあって(例えば取材など)つながったものなので、基本的には「仕事用」の自分で接することが多いし、投稿などもそっちがメインです。
つまり、わたしは仕事用のツールのひとつとしてFacebookを使っています。たまに旅行や食事といったプライベートな話を織り交ぜたり、お世話になっている方にお知らせしたいこと(結婚など)を書いたり。これがわたしのFacebookとの付き合い方です。
そこにいるのはあくまで「よそ行きのまいもん」であり、「S中学出身の藤堂」でも「K高校出身のまいもい」でも「Bックオフでバイトをしていた藤堂」でもありません(そうであるときもある。「まいもい」は誤字ではなく、高校時代のあだ名です)。

ここでやっかいだなーと感じてしまうのが、一部の同級生=友人たちの存在。

全く別の仕事をしている彼ら彼女らには、彼ら彼女らの世界があり、彼ら彼女らの作法があります。
体育会系の企業に就職し適応した結果非常にマッチョな思想の人、学生時代のノリを大事にする人、ホモソーシャル的なノリで交流する人、もちろんFacebookの使い方も彼ら彼女らそれぞれの自由です。が。

コメントが下品すぎる問題

「起業しました」→雇って!笑
「Aさんを取材しました」→うらやましい!Aさんとやりたい笑(※性的な意味のやつ)
「Bさんから〇〇をいただきました」→高そう!いくらしたん?笑
「プロフィール写真を更新しました」→なんか雰囲気変わった!エロい!笑

こんなふざけたコメントがつくこともしばしば。
これに本当にうんざりしているんです。

そこは、地獄の混ざる場所。
仕事で出会った人も見ているオープンな場で、こんな品のないコメントをつけられてしまうとは…かんべんしてくれ……

しばらくはのらりくらりと無難なコメントを返したりしていたけど、最近フっと忍耐が切れてしまって、そうした人をどんどんブロックするようにしています。

めっちゃ快適。

地獄からは、早々に手を引くのがよいのだと痛感している今日この頃です。
なんというか、中学の同級生って学区が同じだっただけで学力も違えば趣味もバラバラだったもんなとか、
大学生の頃は仲間と一緒にアホな時間を共有しながら楽しく付き合えたけど、ライフステージが分岐するにしたがってお互いに少し住む場所が違ってしまったなとか、
そんなことを思ったりもします。

SNSの使い方は自由なので、もちろん友達と日々のコミュニケーションをとったりするのもよいことだと思います。それもひとつのSNSの長所だし、SNSがあったからこそ結びなおせた友情や縁もたくさんあります(大学卒業以降関わりのなかった夫と再会したのだって、Twitterがきっかけだったし)。

だからこそ快適に使いたいな、というお話でした。

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