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PERFECT DAYS 変わらないでほしい

映画PERFECT DAYSを観た。
前半はなんというか、一見地味で素朴で、コンパクトな暮らしの繰り返し。
トイレ清掃の仕事をして、いつもの公園でサンドイッチを食べて、決まった居酒屋や銭湯や古書店に行き、布団に入りながら本を読んで就寝する。

他人がドキュメンタリーとして見たら、眠くなるような毎日かもしれない。

でもそんな変わらない毎日にも、家出した姪が転がり込んできて生活を共にしたり、職場の後輩が困っているのを放って置けなかったり、家族と和解し切れずに今の生活を選んでいたり、それでもやっぱり感じることが涙と出てしまったり、気になっていたであろう人のことを考えてやけになったりと、他人には見えにくい変化やこれまでの抑揚を経て生まれる感情がある。

変わらないものの中に変わり続けるものがある。
変わることを受け入れる芯を持ち、"何も変わらないなんてそんな馬鹿なことがあるはずがない"と放つ平山の言葉にズキっとなった。

自分は今、変わらないでほしいと願っている。自分で選んだ今がおおむねとても好きで、今あるもので充分。だから何も引かないでほしいと思う。
老いがこわいと思っているし、重荷や気にかけることが増えていくのもこわい。

でもそれらは、映画の影のようにどうしたって重なっていくもの。

その重層的に重ねてきた平山の生活を見ると、選んだものもたくさんあるが、何かを選ばないという選択もたくさんしてきたんだろうな、と思わずにはいられない。

大切にしたかったけれど、相手と自分の意向の折り合いがつけられずに距離を置いた近い関係性。勘違いされても、違うとわかっていながらも、ぐっと飲み込むことを覚えた関わり方。悲しさも味わったけれど、それを伝えないというコミュニケーション。

その人にはその人だけの、選ばなかったものがある。大人になるほど、それも増えていくのかもしれない。

出会うべくして出会えた人や、偶然のきっかけでつながったものや土地とのご縁。
大切だとわかった上で、手放すことはとてもこわくてできない。

仮に手放したくないものを選ばない選択を取ったとして、その先には何が待っているのだろうか。手元に掬ってあるものを手放したくない今は、映画を見て切なくなるだけだった。

それでも、刻々と変わる木漏れ日を見て刹那を捉え、出社前に空を見上げ朝を味わい、駅内を歩く人々を見てふっと微笑むような、選ばなかった先で選んだものを大切にしている彼を見ていると、それも一つ軸の通った生き方なのだなと思わされる。

ここ数年先のことはとても楽しみだけれど、もっと先のことも、いつかポジティブに抱えられるようになるのだろうか。守りたいものを守りながら、変化を受け入れる強さをもって生きていたい。そのためにどんな日常をキャッチしていたいのか、考えたくなる映画だった。





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