見出し画像

実力派俳優さんの若すぎる死…。このことは私たちに一体何を投げかけているのか?

今回のことは絶対マスターに聞いて、ここに書かなくてはいけないと思いました。
今は落ち着いてきましたが、このことから私たちは一体どうすればいいのか…?マスターに尋ねました。

そして、そこには今だからこそ見つめるべきことがメッセージされました。

中には厳しかったり、乱暴にも聞こえたりするような内容もありますが、私たちに託されたメッセージが何なのかを知るためには、通らなくてはならない表現なのだと思いました。

では、マスターから聞いた内容をお伝えしていきたいと思います。

私>実力も人気もある俳優さんの早すぎる突然の死に動揺が隠し切れません…。

このことは一体どう見ればいいのか…。マスター教えて下さい!

マスター>>今回のことは才能豊かな若者に襲い掛かった「悲劇」といっても過言ではないであろう。

なぜ、このような実力者がこのようなことになってしまうのか…?

もし直接的なことが個人的にあったとしても、このことを残された者たちは向き合わなくてはならない。

そして、このような事が再び引き起こされないように、私たちはすべてのことに幅広く注視しておかねばならないであろう。

ではこの事は、残された者たちに何を訴えかけているのであろうか?


【立ち向かうべきものの「本当の正体」とは…?】


それは、「行き過ぎた手前勝手な理想像の押し付け」という「悪意」である。

「こうであるべきだ」と集団意識で作り上げられたものに沿っていなければ、「注文と違う!!!!!」とモンスタークレーマーのような意識の者たちがどれだけたくさんいることかと思うぞ。

そのクレーマーは「正義」や「正しさ」を武器に、そうではない(沿っていない)者にその刃(やいば)を振りかざしてゆくのであろう。

純粋な者はそんな攻撃の刃に脆くも弱いのだよ。

私>それは、SNSとかの誹謗中傷の類ですか?

マスター>>そうだな。

おそらくそうした直接的なものもあったかもしれないが、しかし自分以外の物事であっても、純粋な人間の心を傷つけるには十分に足りる刃だったのであろう。

いずれにしても、彼の繊細で純粋な心には「悪意」というものに脆く弱かったのだよ。

そして、それは彼が受けた「プレッシャー」だという者もいるかもしれないが、それは少し違う。

プレッシャーとは「個」のものだ。しかし、今回のことはそれだけではない。


さて…。

とした時、これからの人類は、リアル(現実)の世界を脱ぎ捨て、この「非リアル」の

(あえてこう言おう。なぜバーチャルとは言わないかといえば、バーチャルは仮想ではあるが、「リアル」なのだよ。その区別をつけるために、あえて非リアルと言っている)

この世界という新しい水の中で生息してゆかねばならない。

とした時、この水の中で過ごそうとすれば、溺れてしまう者、呼吸の仕方が分からない者、そのような者たちもでてくる。

しかし、この流れは止められない。

いいかね…。

…もう、止められないのだよ。

もう、時代は変わったのだよ。

人によっては「残念なことに変わってしまった」となるであろう。

しかし、人によっては「その方が数段もいい」と思う者もいるであろう。

そのいずれであったとしても、この時代の流れは変えられないのだよ。

とした時、もうこのような悲劇が二度と起きないために、繊細過ぎる人間はネット(非リアル)という水の中での生き方、そして泳ぎ方を学ばねばならないのであろう。

それだけ、大きな時代のうねりが訪れている。

また、もし今回の疫病や天災などにも心を痛めるならば、(乱暴に聞こえるかもしれないが)全財産寄付すればいい。

そして、そこからもう一度稼ぎなおせばいいだけだ。

人間には、生きる意義と意味が必要であり、生き直すきっかけが必要だ。


私>ん~…。生き直す…とはどういうことですか?

マスター>>その人生をこのまま続けていくのかどうかの、更新作業ということだ。

このまま生きていくのかの答えを見失えば、生きる意味さえも見失ってしまうからな。

そして、この更新作業は誰にでも訪れる。


さて、金がないならば、そこから生き直さなくてはなるまい。

こうして生きてゆくきっかけを「チャンス」に替え、弱者に分け与えることでそのきっかけをもらえることとなる。

そうした歩み寄りも必要だ。

要はすべて「悪意」という「魔の性質」が、ネット(非リアル)ゆえにこれも純粋に伝播してしまうのだよ。

人の身体を通さず、電気信号へ純粋な魔のエネルギーが乗るからな。

さて、こうした移り変わりにそなた達は何を、どう準備し、これから来るであろう、第二波、第三波に向き合えばいいのであろうか。


【その眼に映るものは本物か?偽物か?見分けるには?】

それこそ「ネット」は(メディアも含め)人が造っている「虚構」であることに気が付かねばならないのだよ。

そこに「リアル」はないのだよ。分かるであろうか。

その情報は正しくとも、伝える手段としてネットに載れば、誰かの手によって、ひと巻きもふた巻きも捻じ曲げられ、ゆがまされている。

そのことに気が付かねばならない。

とした時、「自分」というものをより自分がとらえ、明確に分かっていなければ、飲み込まれるぞ。

これは、過激かもしれないが皆への「警告」として伝えておこう。

「自分」や「我(われ)」、もしくは「エゴ」でもいい…。

「これが自分だ!」といえるアイデンティティを持ち、誰かが聞きたい答えではなく、自分の本音を口にできるかどうか、自分の感情に自分が訴えられるかどうかが、非常にな…。

…いいかね。

非常に、大事になってくる。

本当だ。

それだけネットという「虚構」は依存性が高く創りあげられている。

いいかね、今一度みなに問いかけよう。

見失うでないぞ!

そなたたち一人ひとりが、我を見失ってはいけない。

これは、警告だとどうか受け止めてほしい。

人の欲しいものを与えるだけの人間にはなってはいけない。

そして、人が欲しいと言ってくるもの、これさえも「虚構」(ウソ)なのだよ。

今、そなたたちがネットを見て信じているものでさえも、虚構(ウソ)なのだよ。

今、この虚構(ウソ)に気づきなさい。

いいかね。

これは強く、何度でも訴えかけよう。

皆がみなで虚構(ウソ)を強く信じこまされようとしている。

これがネット・メディア(非リアル)というものの危険な依存性がもたらす弊害と被害なのだよ。

これは、この被害を受けた若者(たち)の悲劇なのだよ。

その「人からかけられた期待」の中身さえもすべて虚構(ウソ)なのだ。

虚構(ウソ)を見破るために、自分自身こそが「リアルの世界」に存在しなくてはならないのだよ。


自分を消すでないぞ。

いいかね。

人に沿おうとして、自分を消すことなどしてはならない事なのだよ。

これは遠いどこかの誰かの事象ではないぞ。

今のリアルの自分の感情や、欲望、欲求を欠こうとしている、そなた達一人ひとりに問いかけられている事象だ。

一人ひとり心しておきなさい。

集団意識の虚構(ウソ)に今、気づきなさい。


【集団意識を構成しているものを見切る】

私>では、それはどう気づいておけばいいのでしょうか…?

マスター>>集団意識の「集団」とは、誰なのか?どんな輩(やから)なのか?と深く知り、見切っておくことなのだよ。

思慮も浅く、努力さえすることもなく、行動も起こさないからこそ、虚構(ウソ)をあたかも「リアル」のように作り上げ、それをまことしやかにその動かない場所で、発信する輩こそが、集団の「リアルな実態」だ。

それこそが集団の「リアル(現実)」なのだよ。

ここを間違えてはならないのだよ。

その発言が正しい(リアル)なのではない。

その姿の方こそが、リアル(現実)の姿だと見切っていくのだよ。

純粋であればあるほど、この屈強な虚構は崩せないのだよ。

それは、その虚構(ウソ)を純粋に信じてしまう悲劇がそこにあるからなのだよ。


思慮深く、努力を怠ることなくし続け、行動を常に起こし続け、自分を成長させてきた人間が、そんな「リアル(現実)の者たち」にどうして屈することがあろうか?!ということに気づかなくては「ならない」のだよ。

しかし、気づけない悲劇がそこにある。

分かるかね。

私>なるほど…。

そこを努力している方こそが気が付かないとなんですね…。

マスター>>その通りだ。

そして、ネットの特性にも気がつき、対策しなくてはならないであろう。

そこを知らずして、依存のエネルギーの坩堝(るつぼ)に塗(まみ)れてしまえば、依存のエネルギーにやられ、他人へは依存できない、心優しき、しかし心弱き人間は、自分へ究極の依存をしてしまう。

それが、自己否定であり、自分であれば傷つけてもいいと自分にこそ依存してしまう結果となる。

>は~。

そうですね…。

どんな自分であっても痛めつけていい理由はないし、そこにはネットに蔓延している「依存のエネルギー」にやれてしまったがゆえの行動なのかもしれないですね…。


>>そうだな。

それに気が付けるかどうかが、これから大事になってくる。

自分の気持ち、感情こそを大事にしてくれる場所を見出しなさい。

そして、今あるならば、そこを大事にしなさい。

それにはまず、自分自身が一番自分の感情を大事にすることが始まりなのだからな。

そこに気が付いていきなさい。

【この危険性にもう有識者は気づいている?】

マスター>>そして、有識者がどうしてデジタルデトックスをしているのか?とは、この危険性をいち早く察知しているからに他ならないのだよ。

ネット(メディア)に依存してしまえば、虚構(ウソ)を信じる人間に仕立て上げられてしまい、自分の感情などという、面倒で、あるかどうかも分からないものを大切にする時間さえも与えられなくなる。

動画だ、映画だ、ゲームだと「自分が一体どこの誰なのか?」さえも必要なくなる世界にずっと住まわされることとなる。

今回のことは警鐘であり、警告だ。

厳しいが、そのように話しておくぞ。

皆がみな、このことをきちんと心に留めておくのだよ。


【それは彼から私たちへのメッセージ】

マスター>>自分の「心」を見るとか、自分の「感情」を知るとか、瞑想して「我」を知るなどと言えば、カルトだ、なんだと馬鹿にされ、人から笑われるかもしれない。

しかし、雨の日に傘をさした姿を滑稽だと笑った者たちは、ずぶ濡れの中でその者を笑った。

どちらが正しかったのかは、後のそなた達も知るところ、であろう。

『サピエンス全史』で有名なユヴァル・ノア・ハラリ氏がなぜ瞑想が大事だとわざわざ説いているのか?に思いを馳せなさい。


これは新時代を迎えている今だからこそ、素晴らしい才能者であり、実力者だった彼からの「提言」に他ならないであろう。

そして「自分」という「リアル」は「ここ(心の中)」にあるとし、この虚構(ウソ)に一人ひとりが向き合い、どうか暴いてもらいたいとする彼からのメッセージだと心にとめておいて欲しいと思う。

いいかね、分かったかね。

これからも「スピリチュアル・カウンセラー」の地位向上と、良質なカウンセラー育成のためにまい進していきたい思います!是非、ご賛同していただけると嬉しいです♪