「永遠の別れ」 亡き父が遺してくれたもの。
最愛の人との「永遠の別れ」はとてもつらいものです。
自分の親が少しずつ老いて、いつかは永遠の別れがくるとわかっていても実際にはなかなか受け入れられないものですよね。
私の父も2021年3月に永眠しました。
永遠の別れから少し時間が経過したので、こう考えるられるようになってきました。
もう父と逢うことはできないけれど、私の中に父はどう「生きて」いるのだろう?
私に何を遺してくれたのだろう?と。
それを考えたとき、今よりもっと父の死を受け入れられるようになり心が軽くなりました。
父は生前、料理人をしており私は幼いころから父の仕事ぶりを間近で見てきました。
常においしいものを探求し、作り、お客さんを喜ばすことを片時も忘れませんでした。
その父の作る料理の中でも1番好きだったのが「ハンバーグ」でした。
この「父のハンバーグ」を私は再現することができます。材料、分量、工程、全て覚えています。
これは幼いころよく食べていたという舌の記憶と、父の仕事を間近でずっと見ていたことで、ハンバーグを再現できるのだと思っています。
そして父は必ず「ハンバーグ」を作ると私に食べさせ、「おいしいか?」と聞いていました。
そしてそれを聞かれる私はいつも「おいしい!」と答えていました。
そして今「父のハンバーグ」を私が再現して私の子どもたちに食べさせています。
そして父と同じように「ハンバーグどう?」と子どもたちに毎回聞いています。
そう聞くと子どもたちは「うん!おいしい!ジィジのハンバーグおいしいよ!」と言ってくれるのです。
父とは永遠の別れをしました。
もう2度と逢えることはないですが、私の中に「大切なもの」を遺してくれました。
それは父をいつでも思い出すことのできるあのおいしい「ハンバーグ」を私が作れること。
再現できるからこそ父が私の中で生きているということが実感できています。
そしてその「ハンバーグ」を作り、父が私にしてくれたように、今度は私が自分の子どもたちに食べさせてあげられること。
そして子どもたちの「おいしい」と言ってくれる言葉から父との幼い日の思い出を忘れずにいられることでした。
父は自分が「生きていた証」を私に遺していってくれました。
そしてその「ハンバーグ」は私の子どもたちにも繋がっていこうとしています。
子どもたちがハンバーグを食べて「おいしい」と言ってくれるたびに、私の子どもたち(孫たち)の中にも父は生きているのだと思っています。
最愛の人との別れはいつか必ず訪れます。
それは現実に誰もがいつか受け入れなければならない悲しいことだと思います。
心が喪失感に襲われたり、生きる気力を失ったりすると思いますが、その時は時間がかかってもムリせずにそのままで構わないと思っています。
そして心が少し上向きになったときに、最愛の人が自分に遺していってくれたものは何だったのかと、できる限り探してみてください。
自分にとって少し前を向けるものがきっとどこかにあるはずです。
もう現実には逢うことはできませんが、自分の心の中で出逢うことはできるのだと思っています。
いつもそばに居てくれるのではなく、自分の中に永遠に居てくれるのだと信じています。
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