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母を看取る息子たちの話し

102歳のシオさん(仮名)が亡くなった。息子さんたち(長男次男70代)もまだまだ長生きしてほしいと願いながらも、草花が枯れていくような自然な最期を望んだ。病院からここに戻り、看取りケア* をはじめて2ヶ月。幾度となく誰もが「いよいよ」と思う瞬間があったが、今日まで立派に生き切った。

”最期の時”までのプロセス これは決してすべての人に当てはまる全例ではないが、死の間際にある人は血圧が低下した後、胸郭を使った呼吸が下顎を使った呼吸に変わり、呼吸回数が減少する。その後、心拍数が低下し始め、呼吸が停止した後、心停止に至るという経過を辿ることが多い。その変化をご家族と共に見届ける時間には大きな学びと、感無量の瞬間がある。

以前、これはむしろ医師以上に、自然で穏やかな最期を数多く看取っている特養などの介護施設の「介護職・看護師」のほうが”その時を見立てる能力”には長けているのだと、知人の医師が語っていたが、僕もまったく同じように思う。


息子というのはいくつになってもママが大好きだ。しかし、息子はその気持ちと同じくらい照れくささを持って最期を見届けることが多い。僕がここ2ヶ月で「その時」に立ち会えたのはシオさんが3人目。そのいずれも息子さんは照れくさそうにしている。
「まぁ、ここまでよく頑張ったよなー」、「まぁ、これで親父のところにいけるなー」「まぁ、100歳超えて大したもんだ。ハハハ。」などとおどけながら、自分の気持ちは悟られまいとふるまうことが多い。

その場に立ち会っていた僕は、何気なくスマホを手にケアコラボという介護記録システム(スマホ)の中にある「人生録」を読み上げてみた。


この最期の時間に、その人の歴史をひもとく時間があっても良いと思った。

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「1915年埼玉県で長女として生まれる」
「兄弟が多く、義務教育終了後、東京に出て板橋にある工場で働いていた」
「昭和15年に結婚した」
「昭和16年に愛川町に移り住んだ」
「貧しい戦後の時代に4人の子供を育て上げた」
「老人会の役員をしており、旅行の時は東京生活が長かったことから案内役になっていた」「80才までゴルフ場で働いていた」


息子さんたちと「おぉ、そうだそうだ。」「苦労したんだよな」などと思い出を共有した。
ベッドに寝ている昏睡状態の母を前にしても、息子というのはなかなか手を握らないケースが多い。だから、今日は僕がシオさんの手を取り、「手を握ってあげてくださいよ。」と声をかけ、息子さんの手にシオさんの手をそっと収めた。「お・・おう、そうだね。」と手を握る息子さん。
繰り返しになるが息子はママが大好きなのだ。
右手を長男さん、左手を次男さんに握られたシオさんは、薄い呼吸の中、静かに目を閉じてドラマのように一筋の涙をこぼしたという本当の話。「兄弟仲良くするんだよ。」とでも言っているようだった。


人の耳は最期まで聞こえている。
特にシオさんは耳が良かった。次男さんは妹さんがこちらに向かっていることを何度も伝えた。「かぁちゃん、いま彩子(仮名)がこっちに向かってるからなー、もうすぐ着くからよー」と声をかけていた。

それから15分くらいだろうか。こちらに向かっていた娘さんが到着した。
次男さんは「おお、彩子、ほらほら」と自分が握っていた左手を娘さんの手に納めた。
この時、すでに長い無呼吸状態であったシオさんに娘さんは「…もう、逝っちゃったかな」と小さな声をもらした。人は最期の最後には呼吸、脈拍などもほぼ取れない状態になる。
娘さんは耳元に顔を近づけ「お母さん、彩子だよ、きたよー」と声をかけた。すると、その数秒後シオさんは「ぷぅー」と一息だけ少し長い息を吐き、それがまさに最後の一息となった。娘さんは「良かった...間に合ったのかな。お母さん待っててくれたんだね」と穏やかな顔をして旅立った母の頭を撫でながら微かに震える声をかけた。

これは、美辞麗句でもなく、フィクションでもない。世間の人は案外知らないだろう。こうゆうシーンに度々立ち会えるのが介護の現場であり、介護職たちなのだ。此の期に及んで、あのひと息が「呼吸」なのか、たまたま肺または口腔内から漏れた「空気の音」なのかは、もはやどちらでも良い。母を看取る子供達が、「最期を見届けた」と思えることが大事なのだ。数十年前、笑顔と涙で自分を産んでくれた母を、旅立つ時は涙と笑顔で看取る。看取りきる。そうやって子が親に贈与返礼し、バトンをつないでゆく場面を僕らは目にする仕事なのだ。

最期のとき、よく僕らは「耳は最後まで聞こえている」と家族に伝える。声のアウトプットをする力は残されていない状態でも、音をインプットするわずかな力は最後まで残されている。「誰かを待ってから逝く」ということがとても多いのはあながち偶然でも奇跡でもなく、本人が「おぉ、やっと来たね」と結構冷静だったりするんじゃないか?「じぁあね。お母さんはもう逝くけど、兄弟仲良く元気にやるんだよ」とアウトプットできない言葉を本人の中では語りかけているのかもしれないと、そんな風に見立てて見守る。そして、その仮説を言葉にし、家族に伝える。死にとって意味無きことはない。非科学的だろうとなんだろうと、僕らはそこにこだわりたいと思う。

今回のケースでも母親として“最後のひと息”をもって、娘に「私は親の死に目に間に合った」という後悔のない看取りを「与えて」旅立っていったように思えてならないのだ。

高齢社会とセットの「多死社会」において、医療機関の体制ではこういった人生のエンディングの実現が難しいのだとしたら、この最期の状況をデータで集積していくことで「耳は最後まで聞こえている」のエビデンス(根拠)に出来ないか?
これは看取りに立ち会うことのできるこの仕事の役目かもしれない。これからも、多くの看取りをミノワホームの職員たちはその場で記録し続ける。102才の最期にそんなことを考えさせられた。
気持ち良い風と日差しが差し込む午後だった。


【看取りケア*とは?】
看取り介護とは、近い将来に死に至ることが予見される方に対し、その身体的・精神的苦痛、苦悩をできるだけ緩和し、死に至るまでの期間、その方なりに充実して納得して生き抜くことができるように日々の暮らしを営めることを目的として援助することであり、対象者の尊厳に十分配慮しながら自然な終末期の介護について心をこめてこれを行なうこと。

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