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5月25日「みょうが」

たまには日記みたいなものでも書こう。

夜中の三時までどうにも寝付けず、ハーラン・エリスンの『愛なんてセックスの書き間違い』を読んでいた。SF作家として活躍する著者のSFではない短編集、というのが売り文句だが、そもそも彼の小説を読んだことがないのでその辺はどうでもいい。

タイトル一発のインパクトで購入した。思春期真っ盛りの赤っ恥みたいな言葉をドヤ顔でのたまっているような題名。かと言ってどれかの短編のタイトルになっているわけでもないところがいい。低空飛行の心情が漏れ出したようで真に迫ってくる気がしないだろうか。

初っ端の『第四戒なし』がよかった。一文目からナイフで心臓を突き刺して来て、ずっと絶望したまま、乾いた感情を残して終わる。いい空気だ。
とはいえ、海外の翻訳本を読むようになってから、十全に楽しめていないような気がするのは聖書を知らないからだろうか。このタイトルもモーセの十戒から取られているのだろうがよく分からない。そろそろ聖書にも手を出す頃合いか。
ひとまずそれは置いといて、そのあとの『孤独痛』『ガキの遊びじゃない』も同じ空気感で続いていた。

記憶に残った文章は「足は夏の地面にわずかに沈み、重いブーツでもはずみがついた。生きていてよかった。」
フラワーカンパニーズの『深夜高速』を思い出す。

夢の中で暮らしてる
夢の中で生きていく
心の中の漂流者
明日はどこにある?
生きててよかった
生きててよかった
生きててよかった
そんな夜を探してる
〈フラワーカンパニーズ『深夜高速』から引用〉


描いていることはそれぞれ別のことなんだろうけれど、ベン図を書いた時に被さる部分は多い。
第四戒なし∩深夜高速。
僕は死にそうな奴を俯瞰している作品が結構好きで、まあ最終的には一縷の希望が見えてほしいなとは思うんだけれど、この二つの作品はどっちも救いようがない。それを良いと思えた今の自分の心情は割と腐りかけているのかもしれないので要注意だとパジャマの襟を正す。
小説とか歌とかの作品は、自分の今の心持ちを知るために有効だと思うのです。
で、うだうだと寝落ち。

目を覚ますと昼の12時。

最悪だ。
ロングスリーパーが目覚まし時計をかけないで寝るってのは一日を半殺すことといっても過言ではないでしょう。それを知ってもなおアラームをかけたくないところが僕の駄目なところ。
かといって早急にやらなきゃいけないこともないので、お布団で5分ほど管を巻いてから飛び起きる。
勢いをつけて部屋に掃除機をかけて、風呂洗いをしたあと、あり合わせのインスタントラーメンに残りもののネギを添えてかき込む。素朴で旨い。

食後のティータイムにはキリマンジャロのコーヒーを淹れた。ステンレスフィルターを使い始めて半年近く経つのだけれど、中々上手に入らなくて悔しい。
稀にナイスな抽出ができた時には感動するほど美味しいのだが、今回のコーヒーは妙にエグくてしょんぼりとする。日々鍛錬を重ねなくちゃいけない。

あと性能のいいグラインダーが欲しい。Kalitaの簡易的なものしかないので。
いっそ手動に戻しても良いのでは、とも考えた。すりこぎ式のしっかりとした手挽きミルも持っていたのだ。しかし手挽きだと、挽くのが面倒で淹れないというジレンマが発生するのでそれも断念。
やっぱり、ちょっとお高いの買おうかしら。

コーヒーだけではしっくり来ないので、消費期限が昨日で切れていた冷凍食パンに、カルディのコーヒーホイップを塗っておやつにしてみた。
このホイップ、本当に美味しいので試していただきたい。口当たりが雲みたいに軽い。安っぽいジャムの味が好きなら確実に気に入ると思うので是非どうぞ。
昨今の高級食パンブームに背を向けた90円で6枚入ってる食パンに塗るのが至高です。がさつな味の方が口に合う貧乏性もあるのかも知れない。

そんなものを口にしながらネットニュースを雑に眺めるのにも飽きて、この前の金ローで録画した『アラジン』を流す。おもしろい。
ジーニー役をウィル・スミスが務めていて全身青い。絨毯の仕草がすごい可愛いんだけど、なんの動物を参考にしたのかちょっと気になる。
あと、このストーリーのタイトルにアラジンとつけた人は天才だろう。フューチャーされるのはアラジンという人間であって、ジーニーでもジャスミンでもない。タイトル一つでこちらの目線を定めてくれてありがたい。

観賞を終えた頃には17時が近づいていて、そろそろ夕飯の買い出しに出かけないとと腰をあげた。
身支度を済ませて近くのスーパーまで足を運び、きゅうり、しいたけ、みょうが、玉ねぎ、長芋、豆苗、ピーマン、人参、合い挽き肉200g、豚肉200g、カルピスを購入。

そういえば9歳頃にピーマンの苦味に打ち勝ったとき大人になったと思ったが、今度はみょうがの旨さが身に染みて来て自分が成長したと確信した。人間はいつまで経っても大人になりきれないのかもしれない。

さて、とキッチンに立って日本酒を一口だけ飲む。丹頂鶴というお酒はさっぱりとした梨の香りがするのでとても好き。ポン酒の良し悪しがさっぱり分からない僕でも美味しいと感じるのだからだいぶ旨いのだと思う。
去年の春にたてた目標は日本酒の味の違いが分かる男になることだったが、ご時世柄あまり飲みにいけなかったので、近くの酒蔵でちょいちょい購入して口にしただけだった。早く大手を振って店に行ける日が来て欲しいものです。

そんなことを考えながら、醤油やみりん等を鍋にぶち込み沸騰したところでしいたけを4つ沈める。野菜をすぱすぱ切り刻みボウルに移し替えて、先程煮詰めた出汁的なものをそこに注ぎ込み、鰹節やら鷹の爪やらを追加してやれば野菜漬けの完成。
卵かけご飯やそうめんに添えてあげたら劇的においしさがアップするので皆さんもどうぞ。YouTubeで「やばい野菜漬け」で検索すればすぐ出て来ます。

料理をしながら友人と電話した。これがもう、文字に起こす部分がないくらいくだらなかった。マッチングアプリ系YouTuberというフレーズが記憶に残っている。何だそれ。
ああ、その友人のそのまた友人の結婚式の話もしたな。緊急事態宣言下でたいへんではあるけど、お酒を控えるなどの工夫をしてどうにか式を開くらしい。幸せを見るためなら自粛もやむないとは思うが、まったく、嫌な世間の病である。

野菜漬けを冷蔵庫にしまい、飯にはまだ早いので江國香織の『ウエハースの椅子』を読み始める。
一行目からいい。

 かつて、私は子供で、子供というものがおそらくみんなそうであるように、絶望していた。絶望は永遠の状態として、ただそこにあった。そもそものはじめから。
 だからいまでも私たちは親しい。
〈江國香織『ウエハースの椅子』から引用〉


分かるようで分からないし、分かりたくもないというのが正直なところでもある。それでも文章の引力に凄まじいものがあるのでぐんぐん読み進められてしまった。

これを貸してくれたのは昔にキャンドル作家をしていた女性である。僕が興味を示していたから貸してくれたのに、あれからだいぶ時間が経ってしまっているので、そろそろ返さなくてはいけない。時期が来たらまた居酒屋でつまみを口にしながら渡そうかな。

にしても、不倫の小説とは思わなかった。感想がなんとも述べにくいところではある。
不倫は文化とは言われているし、僕の周りでも不倫が横行したりもしたのでわりと馴染み深い(馴染み深い、以外にしっくりとくる言葉がなかった)。
感想を言うならその辺りも芋づる式に口にすることになるな……と思ったが、彼女とはアクの強いえぐい下ネタも話せたのだから別段問題なかった。というかそれを口にしない努力をすれば良い話だ。

ウエハースの椅子は日々の断片のスケッチを眺めているような小説だった。描かれている風景は美麗、そこに主人公の思いが重なっていて、それ以外の余白の部分が異常に多い。自分の頭で補填していくしかない。
純文学はわりとその傾向が強いとは思うのだけれど、その中でも群を抜いて余白が多い。読む人によって作り出す街並みとか部屋の風景が違ってくるだろうな。
うーん、一気に読むものでもないと思い至って散歩に出る。

薄暗い路地をぼちぼち歩いているところで日記でも付けてみようかと思い付き、そして現在になる。
朝から今までをつらつら書いてみて、思いのほか、情報量の多い生活してるっていう客観視ができた。自分のことを俯瞰して見てみたら、この人ずっとなんかしてるなという感想が出る。
他方からの刺激がないと死んじゃう生き物みたいだ。もうちょっとくらいだらだらしてあげても良い気もする。余裕のあるだらだらではなく、真のだらだら。スマホも本も映画も投げ捨てて、ソファに寝転がるだけの時間があっても良さそうだ。

まあ、なんでもいい。
そろそろご飯の支度の続きをしよう。
肉野菜炒めとピーマンの肉詰めを作る予定です。上手にできればいいな。
今日はまだ、終わらない。

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