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抱負はサウナで南無阿弥陀仏

2023年である。
仕事を終えて気がついたら年を越していた。無人の駅のホームで年を越すスリルを味わったが、なんとか家まで辿り着き、ギリギリのところで暖かい場所での迎春といったところだった。

毎年、抱負を書いておこうと思うのだけれど、思うだけで終わってしまい、いつも年末にやるせない気持ちになる。思い立ったが吉日という言葉通り、脳みそから行動へのストロークは短いほうがいいだろう。
やらない後悔ほどあほくさいものはない。
抱負を考えることはタダであるのに気後れする必要もない。多少の時間があればできるのだから、この際書き記しておこうという次第だ。

今年は外に出る趣味を持ちたい。
今のところ、読書が一番最初に浮かぶ趣味で、二番目はコーヒー、その次にNetflixという感じである。読書は高校生の頃から続けており、新鮮さは知らない本に出会うことで保てているのでもちろん続行である。
コーヒーに関しては生業でもあるから外すこともない。Netflixについては、気になるものがあればという程度なので、そこにおニューの何かを突っ込みたい気持ちがある。

悪ふざけで言っているものとしては、蕎麦打ちや陶芸や盆栽がある。おじいちゃんになってから始めがちな娯楽を若い内からスタートして、周りの老齢な紳士淑女たちを出し抜くという魂胆である。
「あなたも今日からですか」と隣のおじいさんに尋ねられた時に「いえ、三十年ほど前から」というボケのためにやるのも乙だと考えた。が、特にやりたくもないし、想像なら面白いけれど、その時を迎えたらそんなにおもしろくないだろうから却下だ。

悩みから考えるのなら、年齢的に体力が下降気味になってきて、身体の節々もどんどんかたくなってきた。昔は足を開いて前のめりになるあの柔軟であれば、頭が着くくらいの柔らかさはあった筈なのだが見る影もない。
毎日柔軟をして、トレーニングに励むというのは悪くなさそうだ。同僚から身体の薄さを新型iPhoneに例えられるような非力な見た目をしているので、筋肉をつけたいとも思っている。
それに流行り病が出てきた頃から「やってもいいんじゃない?」と思っていたのだから、やったほうがいい。どうにも行動へのストロークが長すぎる。

あとはサウナにも行きたい。
出張先のホテルでの暇潰しとして、サウナと水風呂の往復をしてみたときにわりとはまり、一週間毎日やっていたこともある。丁度いまサ活という名前で流行ってもいるし、長いものに巻かれるのも悪くないだろう。
トレーニングからのサウナというドッキングをするのもよさそうである。

趣味としてはそんなところか。
他の抱負としてはコンスタントに文章を書きたい。
友人と二人でnoteのアカウントを作り、週に一つずつ同じテーマで文章をあげ始めたので、これは一年くらいは続けたいところだ。
文を書くのは仕事とかでもよくあることで、その際にわりと役立っている。みんなで同じものに対して書く業務がよくあるのだが、一番理解できてるじゃんと言われることが多い。僕は別にそんなことはないと思っている。ただ出力をしてきた量がみんなよりも幾分多いので、文章としてまとめるのがちょっと得意なだけだ。
他のことにも作用すると思えば続ける意味あいだって見えてくるし、そもそも友人と書いていくことはおもしろいので、これは続けていきたい。

気持ちの面でいうのなら、自分を信じて生活していきたい。
他人の言うことに左右されることは勿論ままあるだろうが、ぶれない芯のようなものを確立することは、自己肯定の第一歩目である気がする。
相反するような話でこんがらがるだろうけれど、ここ最近の世の中は「自己肯定感ブチアゲこそが善」みたいな風潮があって着いていけない。ROLANDとか叶姉妹とかGacktとかの影響なのだろうか。
僕もそういう鎧を着込もうとしたこともあったけれど、どうにもしっくりこなかった。偽物の自己肯定感をブチアゲて満たされるような心ではなく、むしろ空虚さだけが残る始末。なに無理してブチアゲてんだよ、という。
等身大以上のことはできないわけで、前にあげた四名はそういう才能の持ち主だからこそ許される所業なのだと思う。
なので僕は慎ましく、等身大の自己肯定をして、自分の信念を貫く強さを持っていきたい所存だ。

南無阿弥陀仏を唱えれば天国に行ける、というシンプルな教えの、浄土真宗の祖である親鸞の教えを記した本の中に素敵な部分がある。
『我々が「南無阿弥陀仏」と唱えるのは、仏道の修行を真面目にできず、読み書きも上手いことできず、煩悩が頭から離れないような人間であっても、南無阿弥陀仏を唱えれば救われるからだ。修行に秀でた優秀な人には蔑まれるようなことであっても、これが我々の唯一の救いなのだ。念仏よりも優れた救いがあろうとも、我々には到底着いていけないと思われる。』
これは僕の自己肯定感と自己肯定感ブチアゲの差である。ブチアゲられない僕は謙虚に自分を信じて南無阿弥陀仏を唱えていければいいと思う。

こんなところだ。
健康第一なんかは言わずもがなだし、楽しい年にしたいというのはいつものことなので特に書くこともない。
サウナの中で南無阿弥陀仏、そんな2023年にしていきたい。

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