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4月10日「背景」

友人からカフェに行こうと誘いがあった。四月か五月には行けたらいいねえ、と話していたのに、思ったより早く顔を合わせることになった。行ってみたいお店を見つけたらしい。

彼はコーヒー関係の仕事に就いていて、豆の発注やら商品の販促なんかをメインの業務にしているのだけれど、ここ最近の従業員の減り具合が「リーマンショックの時の株価くらい」だとため息混じりのLINEが来たから「ギザギザに減ったんだね」と軽口を叩いたら、怒っている風のLINEスタンプが送られて来て、さすがに自重した。
仕事を終えて帰ってからは、ご飯を食べてウマ娘をやってシャワーに入って寝るだけで、余計なことをやる暇は少しもないらしい。生きていく中で余計なことは重要だ。僕らの精神安定剤になってくれることもある。ところで、ウマ娘は余計じゃないのか、どうなのか。

忙しすぎる仕事に押しつぶされた日常では、カフェに行く機会もめっきり減ってしまったようで、半年ぶりくらいかもなんて言葉と一緒にURLが送られてきた。そこは僕も知っているカフェだった。というか、4月5日の日記に書いたお店だった。
八年ほど前に一週間の短期アルバイトをした中で仲良くなった、同世代の女性が始めたカフェで、僕はSNSでの運のいい巡り合わせでそのことを知っていた。彼女のことは写真を見て何とか思い出したのだったが、僕は特にフォローなどの目立つ行動を起こしていない。
つまりは一方通行ということで、これが行き過ぎるとストーカーになる。実際にお店に行くのはストーカーか? ストーカーじゃなくてもだいぶ気持ち悪いな、と思いながらも、いいよ、行こうと返事を返した。

昼過ぎに店の前で友人と落ち合うことになった。風が強かった。近くの駅からでも徒歩10分ほどかかる場所にあり、強風の中をかき分けながら歩くのは難儀だった。そういえばこの辺りはいつも風が強いけれど何故なのだろうか。
昔、札幌の風について調べたら、他の土地に比べて強風の割合が高いと書かれていた。理由は覚えていない。変なクイズ番組に問題として出題されていたら答えられそうな程度の、くだらない雑学としての知識しか残っていなかった。知識の燃えかすみたいだ。

店の前に先に着いたら看板にはOPENの札が吊るされていた。三分程度で友人が現れ「えっ、今日閉まってんじゃん」と言った。木の札を見やるとCLOSEになっていた。狐に化かされたような気分になったけれど、強風でひっくり返っただけだった。
お店に入ってカウンターにいた店主の男性にそれを伝えると、みんなそれ教えてくれますわ、とうんざりした顔で言っていて申し訳なくなった。人間は自然の前では無力だった。

窓際の席を案内してもらい、僕はアイスコーヒー、友人はホットチャイを飲みながらくだらないことを話した。
ご飯の時には水曜どうでしょうを流すと考え事をしなくて済むとか、洗面所にスピーカーを置いて、知らない曲のオルゴール調を流しながらお風呂に入るとラブホテルにいる錯覚があるとか、アホのライフハックを教えてくれた。日常で役立つことはほとんどなさそうだったが、彼は彼なりに生活を楽しんでいるという証拠だった。忙しいとは聞いていたけれど、近状を聞く前になんとなく胸をなでおろした。
窓の外では、散歩させられているコーギーの毛が風の方向を指し示していた。相変わらずの強風だった。

アホの話から次第に近状に移っていった。詳しく書くまでもなく、人が足りないが故の多忙が彼を襲っていた。好きなことを投げ打って仕事に捧げているようだった。好きなことと仕事が合致しているのがせめてもの救いのようだった。
彼の職場にいる人と僕は一度だけ会っていたようだった。世の中は狭すぎて窮屈だった。身の振り方をわきまえなければならない。
席から後ろを振り返るとカウンターが見えて、そこには例の知り合いが立っていた。そこで急に名前を思い出した。今の今まで全く記憶の外にあったのに、姿を目にした途端に思い出せるのは不思議だった。

それからは、友人にその女の子の話をした。そのバイト先はキャラクターの濃い人ばかりで、僕の存在は霞んでいたから多分覚えていないだろう、というようなことを話した。よく覚えてんな、と言われたけれど、一緒に働いた身としては覚えていない方が不自然なくらいの女の子だった。
話も終えてお会計の段になり「違ったら申し訳ないんですが、◯◯さんですか?」と尋ねたら「そうですけどなんで、えっ。えっ」と見るからに戸惑っていた。このままでは気持ち悪いやつだった。あの時のバイトで一緒だったから、とあえて名前も伝えずに応えてみると「もしかして藍草さん……?」と言われて度肝を抜かれた。覚えてるのか。なんでだ。

そこから話をしていたら、彼女もそのアルバイトのことはよく覚えていたようだった。一緒に働いていた人に関しては、僕と僕の友人のことしか覚えていなかった。やばかったから覚えている、とのことだった。どうやら自己評価が間違っていたらしい。
僕が記憶に刻むほどに強い個性を持っていた人たちを乗り越えて、僕の方がインパクトがあったようだった。あまり喜べるようなことではなかったけれど、久々の再会での会話は楽しかった。そもそも、馬があったから覚えていたのかもな、と思ったりもした。

彼女はその後も、アルバイトを主催した会社の人たちと交流があったようだった。社長の娘が有名な音楽家になっていて、僕でも目にしたことのある人だったから驚いた。それぞれにそれぞれの人生がある、と思った。
世界は広いが世間は狭い。
どこかで交わる大方の人たちと、こういった楽しい交流ができればと思った。そしてどこかでうまく生きていればと漠然と思った。人は他人にとっては背景でしかないだろうが、目を向けてもらえるような背景になれたなら、どれだけ嬉しいことだろう。

また来てくださいね、と手を振る彼女を背景に強風の中を歩き始めた。
次はどこに行こうか友人と考えつつ、あてのない話をしながら、あてのない街へと足を向けた。

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