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5月26日「ポケットパーク」

朝、7:30時頃に布団から起きる。
彼女が仕事の支度をしている間にコーヒーを淹れる。昨日の夜に散歩で買ってきた、たまごサンドとチョコデニッシュを半分こずつ口にしながら、朝のワイドショーを何となく見流す。
早朝の情報番組ってほとんど興味のないことをやっているんだけど、逆に、興味を刺激するような内容だったらテレビにかじりついて会社に遅刻してしまうから、むしろこれで正解なのだろう。狙って作っているテレビ局の制作スタッフに感謝だ。
本気で作ってる?
え、まさか、そんな。

僕は休みなので彼女を見送るついでに紙ごみを捨てる。マンションに据えられたゴミ入れの蓋を開けたら、卵十個パックが中身一つも欠けることなく捨てられていた。買い物下手にも程がある。それにゴミ捨てカレンダーを守れていないことも問題だ。

以前、そのゴミ入れの蓋に管理人からの注意書きが張られていたことがある。
「ゴミのルールが守られていないことがあります。ごく当たり前なルールくらい守れませんか?人として恥ずかしいのでちゃんとして下さい」とかなり荒っぽい文字で殴り書きされていた。

ここまではらわた煮え繰り返ってる文章は初めてだ、と興奮して写真を撮ったので、引用の文は丸まんま正しいです。会社としての意見というより、個人の感情を剥き出しにしている感じがしていい。てめえら住民のせいで私が怒られてんだわ、みたいな。
まあ、これを言う前に、共用スペースの清掃をひと月に一回でも良いからしてほしいものだ。

部屋に戻って洗い物を済ませながら、今日は何をしようかと思いを巡らす。13時からは友人と会う約束があるが、それまでは何もない。たまに早起きをすると時間の潰し方が分からなくて途方に暮れるが、これは宝の持ち腐れだろう。
映画を観ようと決めてアマゾンプライムをディグっていたら観たかった映画が無料で配信されているのを見つけた。『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』を流し始める。

サリンジャーといえば『ライ麦畑でつかまえて』『フラニーとズーイ』『バナナフィッシュにうってつけの日』などで知られる作家で、これは彼の伝記的映画である。
読んでいた作品の風景がたまに入ってきてお洒落な演出だ。サリンジャーの苦悩や作品作りへのこだわりが計り知れない。時代的に太平洋戦争があり、出兵しながら作品を頭で紡ぐシーンなんかは息が詰まるものがあった。彼の作品を読んでなくても楽しめるだろうが、どれか一冊くらいは手を出しておいたほうがより面白く鑑賞できるはずだ。
序盤の気になった台詞。

退屈な人生を生きていると 現実よりもフィクションに真実味を感じる
〈映画『ライ麦畑の反逆児 一人ぼっちのサリンジャー』より〉


分かる、と思ったが、今の僕はゴミ入れの蓋の貼り紙を面白がっているくらいなので、それこそ真実味がない台詞だった。それでもなんとなく心に残ったので記しておいた次第だ。フィクションに心をやつしすぎたときに思い出そう。

あと、日本語訳が凄すぎると思ったのは次の一幕。

残りの時間で物語かマスでもかいてくれ だが その二つを混同するなよ 区別できていない作家が多いからな


これ、先生が生徒に言った台詞なんだけど、一言目の後にしっかりと笑いが起きてる。ということは、英語版でもなにか駄洒落的なことを言っているのだろう。
で、そのあとにしっかりと「執筆とマスターベーションを混同するな」って意味合いの教訓ある言葉を述べて先生は教室をあとにする。
翻訳家の仕事、凄すぎませんか。
映像が変えられないから、言葉で帳尻を合わせていくしかない状況で、しっかりと面白いことを言ってから意味を通るように仕上げてる。プロの仕事に乾杯。

映画をひとしきり楽しんだところで昼前くらいになったので、近くのカフェに足を運んでトーストとアイスコーヒーを注文。かれこれ8年近く通っているカフェで、もはや馴染みの味なのだが相変わらず美味しい。
片手で村上春樹の『遠い太鼓』をめくりながら食べ進め、春樹がローマの路上駐車は見ているだけで面白いと言っているあたりで本を閉じる。約束の時間より30分遅れると言っていた彼が到着する前に本屋に出向き、サリンジャーの本をペラペラ読み流したかったので。

そんなことをしながら彼と落ち合い、モスバーガーで二度目の軽い昼食を取る。トースト一枚じゃ腹が満たなかった。
数あるハンバーガー屋の中でモスは僕のランキングの上位に君臨している。トマトベースのソースが上手に食べきれないくらい入っていてテンションが上がるし、そもそも美味しい。玉ねぎも良い。

モスバーガーのトマトベースは、一つの工場が24時間体制で作っていて、入荷したトマトの酸味に合わせて調味料の分量を変えているらしい。こだわりようが凄い。
その工場はモス創業当時から三代に続いて生産を一手に率いてるようで、もはや頭が上がらない。この工場でクーデターが起きたら全国のモスバーガーが閉店騒ぎになる。素晴らしい職務意識のおかげで僕は美味しいスパイシーモスバーガーを食べられてます。ありがとうございます。

で、店を出てぶらぶらとしていたら、いい感じの細い路地を発見した。何度も通ったことがある道すがら、新しい路地を発見するのは不思議な感じがする。
小さな店でひしめき合っていたのだが「Φ」という店に目を奪われた。ファイとは空集合、無、何もない、ということ。残念ながらシャッターが閉まっていたので店内の確認は出来なかったが、おそらく、もぬけの殻よりもなにもない、伽藍堂が広がっているんだと思う。

建て直しのビルの話とかラジオの話をしながらすすきのへと南下していくと、クラブの出口付近で座り込みスマホをいじっている女性がいた。
彼女がそこに行き着いた理由や行く末を妄想しながら、ラブホ街を抜けて、鴨の泳ぐ小さな川の横を通り、国道に面したローソンでお酒をいくつか買う。

晴天の河川敷まで歩みを進めて、人のいないベンチでささやかな昼飲みを始める。
公園飲みがよろしくないのは分かっているが、これだけ広々としていて人影も少なければ許されるはずだ。注意されたらすぐに退散する覚悟もできていた。
違う学校での大学生活を振り返ったり、京都大学の寮への憧れの話になったり、最近見た映画やお笑い、本のことについてなど分け隔てなく喋り倒した。

友人とは、同じものを見ているわけではないのに、向いている方向は同じな気がして話が盛り上がる。
感性がたぶん似ていると思うんだけど、どうでしょう。
僕は「落ちている傘」を、友人は「吐き捨てられたガム」を見る。ものは違うけれど感じることは似通っている、そんな感じ。実際にそういう体験談をすり合わせたわけではないが、きっと合っているはずだ。

そういう二人が話すといつまでも話題は尽きないわけで、五時間後の僕らの居場所は街中のポケットパークへと移動する。
ポケットパークとは、街中の景観を整えるために作られたほんの小さな公園のことだが、ここには灰皿がいくつか置いてあって嬉しい。景観よりも利便性が勝る公園。一緒にPEACEを嗜みながら、今度はDTMとか知り合いの結婚式の話をして、夕暮れが傾いていくのを肌で感じる。

近くの複合施設まで歩き、僕は彼女へのお土産に小洒落たカップケーキを買う。ご飯を作る時間も忘れて喋ってしまったせめてもの償いを、小さいケーキに託したのである。
そこで友人とは別れて、同じ建物に入っているスーパーで夕食の材料を買い出す。今日は生姜焼きだ。

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