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4月3日「600円」

いつもより少し遅くに目が覚めた。
不意にお腹が鳴った。僕にとっては珍しいことだった。基本的に朝ごはんはほんの少量で済ましてしまうから、ホテルの朝食ビュッフェすら持て余してしまうのに、当たり前の顔してお腹の虫が鳴くのは不思議だった。
仕事の準備をしながらうどんを作った。具材は長ねぎだけの、しみったれたうどんができた。

急いですすりながら、ここ数日、白米を口にしていないことに気づいた。おとといの朝は塩パン二つに夜は焼きそば、昨日はちぎりパンとスパゲティ。
お腹が空いている理由がわかったような気がした。やはり日本男児の身体は麺やパンにしてならず、白飯を食べなければお腹の持ちがよろしくない、のかもしれなかった。

何の気なしに、ノルウェイに行った友達のことを思い出した。空間デザインを学ぶために海を渡り学校に通い、そのまま永住することに決めた友達のことだった。
ロシアとウクライナのいざこざが始まった頃に連絡を取ってみたら、距離があるから問題はないと言っていた。
そのあとにした、いくつかの井戸端会議の中で、食文化についても話した。主食がじゃがいもだからきついと言っていた。肉とじゃがいもを混ぜ合わせた写真が送られてきた。ジャーマンポテトか何かのように見えた。

そんなことを思い出しながら、冷凍のご飯をチンして納豆と一緒に食べた。
ご飯だと思った。ご飯を食べている、という実感があって、僕は北欧の方では生活できないことがわかる朝ごはんだった。

短めの仕事を終えてから、noteの整理整頓をし始めた。
もともとあったこのアカウントを使っていくための整備。
ひとまず、少量投稿していた記事を日記以外削除して『エッセイ』というマガジンを作った。2016年から2021年までに書いたエッセイをまとめて売ってみることにした。僕の過去の切り売りだった。

はじめは、無料で掲載していくのも悪くはないと思ったのだけれど、今の僕の考えとは大きく乖離しているものが結構あって、ただ載せてしまうだけでは勘違いが生まれる気がした。
うーん。辞めようか、とも思ったが、僕としては見やすい形で記録に残しておきたい気持ちもある。
安易に人の目に晒すのは違うが、自分にとって見やすくもしたいし、興味があるなら見てもらっても構わない。ということで有料マガジンにした。600円。過去の切り売りとしての下限だった。

そこに入れていくエッセイの文字数をカウントしてみると、400字詰めの原稿用紙で450枚ほどの分量があって、文庫本に換算すると250ページになるので、もはや一冊の本になるということだった。
250ページ。安部公房の『砂の女』くらい。思ったよりも少ないと思ったが、確固たる意志で書こうとしてこなかったのだから、やっぱり結構な量だとも思った。気が向いたと言うには多すぎる独り言だった。

読み返しながら投稿していった。古い方から順にあげた。
初めの頃は書き方に悩んでいる節が垣間見れた。途中からはだんだんと小慣れてきて、それに従って、自分の想いの主張が強くなっているように見えた。自分の考えを肯定されたくて必死なようだった。理論武装をし、ドヤ顔で結論まで持っていく話運びが鼻について、暫くすると根をあげそうになった。
昔の僕は、自分が思っているよりも狭量だったのかもしれない。それに気がつけたのだから、時間が経ったということで、ある程度成長したということで、つまり、根をあげそうになることはいいことなのかもしれなかった。そう思うことにした。

アップロードするたびに、これを600円で売るのは、クオリティ的には少し高くつくし、精神的には少し安すぎると思った。平均を取れば、妥当、なのかもしれなかった。読みたければどうぞ、という気持ちだった。

28個まできて疲弊してしまった。3時間も経っていた。読み返して誤字脱字を改め、読みやすいように段落を組み替えて画像を付けて、といった作業をするのは、神経を使うらしい。
残りの3分の2くらいはまた別日に回すことにした。昔の文章を読み続けるのは、精神衛生上、よくなかった。現在に近づけば気楽に読めることを願うしかなかった。

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