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みそ鍋と父親と。

金曜の夜、仕事が終わると、そのまま日向に直行した。
日向は父親が住んでる街だ。
着いたのが夜9時半。
駐車場に車を停めると、父親が窓を開けて顔を出した。
「お疲れさん」
「あぁ」だったか「おぉ」だったか、適当な返事をして車を降りる。
11月も末になるとさすがに風が冷たい。めったにこない街の夜だと、さらに寒く感じる。
「これ、」と父親にA4のペラ紙を渡した。
暗がりだったこともあり、父親は中身を確認できなかったようだ。「後で読む」と言って紙をとりあえずしまった。

家に入ると、父親が夕食を準備してくれていた。
リクエストした通り、豚肉が入ったみそ鍋だ。
ぐつぐつ…という鍋を温める音だけで美味しそうだ。
「人と喋るのは久しぶりだな」
父親は笑った。一人で生活を始めてもう8年くらいは経っている気がする。
「何飲む?」
普段、晩酌はしないが父親と二人の時だけは、酒を飲むことにしている。
日本酒をグラスに注いで乾杯。
遅めの晩ごはんだ。

昔から変わらないのだが、父親が作るご飯は美味しい。
美術の先生だったからか、細かいところにもこだわって料理を作る。
こういうところは、全然似なかったな。
そんなことを思いながらみそ鍋のスープと一緒にご飯をかきこんでいると、父親が薬の説明冊子を手渡してきた。
「新しく飲むことになった薬についてだ」
あぁ、と適当に返事して冊子に目を通す。話は事前に電話で聞いていた。
「驚くなよ。この薬、2週間で4万だ」
これにはさすがに驚いた。
マジかよ。1ヶ月で8万じゃんか。
「いや、高額医療になるから、6万いかないくらいで済む」
あぁ、と一瞬納得しかけたが、いやいや、それでも年間70万くらいかかることになる。
「医者にな、命を諭された。それはもう半端ない目力でな。最初は金が無いって断ったんだが、周りの人と比べて先が短いんですよって言われて、説得された」

父親の前立腺がんが分かったのは去年の今頃だった。大腸がんを早期発見で手術してようやく5年。寛解したタイミングだったので、これには父親も参っていた。
詳しく調べてもらうと、そこそこ進行していたらしく、手術も完治も無理とのことだった。
1ヶ月くらい前には放射線での治療もしないことを決めた。放射線治療をしたってどうせ治らないのだから、体を治療で痛めるのは無駄なことだと2人で判断した。

「まぁ、全然元気なんだけどな」
父親の言葉通り、肌ツヤも血色も良い。がん患者には全然見えない。新しい薬の副作用で、日中少しの時間でも外に出ると日焼けしてしまうので、長時間の運転が嫌だと話すくらい。
「最後は緩和ケアかなって話だった」
父親は医者とのやりとりを詳しく話してくれた。こちらは「そっか」と聞くことしかできなかった。

「ところで、さっきの紙は何?」
家に入る直前に渡したA4のペラ紙について聞いてきた。
まぁ、読んでみたら?と促した。
父親は難しい言語を解読するように紙とにらめっこする。
「ぼ、くのぴ、あのを、きい…てく、ださい」
読み終わると、あぁと納得したように笑った。
「僕のピアノを聴いてください、だな」
正解!お互いニヤリと笑った。

明日は息子のピアノの発表会。父親にとっては孫がピアノを弾く姿を見る初めての機会だ。ペラ紙の正体は、息子が父親にあてた発表会の招待状。
「『を』と『さ』の文字が反対で最初分からなかった」
苦笑する父親に、まぁ5歳だからねとフォローした。

「明日は運転頼むな」
グラスに2杯目の日本酒が注がれた。
父親の顔が、とても嬉しそうにみえた。

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