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なぜ??休憩〜と腰をおろせば、子が寄ってくる

諸々仕事をして、ちょっとひと息、とか
今日は休むぞーと、ゴロゴロ、とか
そんなことをしていると・・・

見計らったかのように、子どもが寄ってきて話しかけてきたり、一緒に遊ぼう!と誘ってきたり。

余裕のある時は対応できるし、ない時はそれが煩わしく思えることもある。



| 「暇」するということ

先日子どもの居場所運営をされている方と、お話する機会があった。

居場所の中で心掛けていることとして「暇そうにしていること」と言われていて。
それは、「忙しくしていると、話しかけづらいから」と。

仲間が必要な仕事を代わってくれて、暇そうにしていて!と言われたのだそう。


なるほどー!と、何となくそれを頭に残したまま 数日、家の中で過ごしていたら記事タイトル「なぜ?休憩〜と腰をおろせば、子が寄ってくる」の状況に出くわして。

ふと、、
「暇そうにしていること」「忙しくしていると、話しかけづらいから」というこれは、家の中でも言えることだなとハッとした。


| 子どもは見計らっている?

私としては、
やっと休憩で腰をおろしたのに〜とか、
いまは自分を休める時間と思ったのに〜とか、そんな不満もあったのだけど。

子としては、
忙しそうだからいまは無理かな?とか
いま仕事中っぽいから後にしたほうがいいかな?とか
配慮してくれていて、からの今。
やっと暇ができた!対応してもらえるタイミングが来た!(実はずっと待っていた)ということなのかもしれない。振り返るとそう思う。

見計らったようにやってくる、というよりも
もはや、見計らっているのかも。

困っていること、悩んでいること、なんでも話してほしいと望むからには、それをしやすい土台づくりも大切だなぁ。


| 目に見えない「暇」もある?

暇な時間、とかは目に見えてわかりやすい。
あとは、目に見えずわかりにくいけど、ホッと心が緩んでいる時間なんかも、子どもには伝わる気がしている。

内面的なもので見えないけれど、心の中に「暇」がある。ゆとり、余白、隙、などとも言えるかも。

家事をしている最中で身体は動いてるんだけど、心はリラックスしていて…フラッと台所にやってきた子どもと雑談したりとか、そういう時間も尊い。
そこから深い話に展開することもあったりする。

そう思ったら…
時間の面でも、心の面でも、どちらかに「暇」があったらいいのかもしれない。


| とは言え、どちらも現状難しいときには

もしどちらの「暇」も取れないときは、きっと自分自身パツパツで手一杯なんだろう。
きっと、とっても頑張っている時。

子どもたちにもお願いして休ませてもらう
好きなものを飲んだり食べたりする
好きな音楽やラジオを聴く
読みたかった本を読む
会いたい人に会いに行く

何でも、自分がホッとしたりリラックスできることでまた土台を固めていったらいい。
いつでも、気づいた時に調整はできるからどんな状態でもよくて。
いまのこの状態を、責める必要もない。

ただ自分の状態に目を向けて、知る。
それで、どうしたいか自分に聴く。
それができたらいいんじゃないかと思っている。

(自分に、聴いて望んだことがうまく叶えられなくても、それすらも自分に許したらいいよー)


パツパツの頑張りモードになった時の自分に向けて、覚え書きを。

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