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『めぐるとき、であうとき』

 パンデミックが一応は収束し、日常は通常運転に戻ったように見える。人の流れが滞った3年間は長かっただろうか、それともあっという間だっただろうか。その後の私たちの生活にきっと大きく影響を与えた期間だったのだろうが、振り返る間もなく、テクノロジーや情報伝達の常識の変化のスピードに、ついていくどころか、目の前を通り過ぎていくのを眺めるので精一杯だ。

 ここ最近、コロナ禍を挟んで数年ぶりに来日、という海外アーティストのコンサートをいくつか聴いた。中でも私が待ち望んでいたのが、Nik Bärtsch(ニック・ベルチュ)だ。このコラムにも何度か登場しているが、私の敬愛するスイスのピアニスト・作曲家で、Roninという4人編成のバンドを結成している。そのRoninが、先日9年ぶりに来日した。嬉しいことに関西公演が神戸で二日間行なわれ、もちろん二日とも足を運んだ。
 緊張しながらライブ会場に入ると、Nikがそこにいた。久しぶりの再会にハグをして、私が「久しぶりですね」と言ったら、彼は「そんなに久しぶりとは思わないよ」と言った。彼の物腰のやわらかいふるまいや笑顔は確かにちっとも変わっていなかったが、この9年の間に私の状況が大きく変わっていることに、不思議な時間のめぐりを感じた。というのも、彼との出会いがその変化に大きく関わっているからだ。
 Nik Bärtschの音楽を初めて聴いたのは、前回の来日時、9年前だ。その頃私は東京に住んでいた。関西に移る前の数年はとても忙しい生活をしていて、ほとんど記憶がないくらいなのだが、その頃私が心の支えにしていたのは生のライブを聴くことだった。9年前にNikを日本に招聘したのは、大沢さんという、主にジャズ系の海外アーティストのライブをたった一人で企画運営している方だった。何かのきっかけで大沢さんの企画するライブに通うようになり、日本では無名だがびっくりするような素晴らしい音楽をたくさん聴く体験をした。今思えば、これだけは東京に住んでいてよかったことの一つだ。そしていよいよ大沢さんがNikを連れてきたのが私の運命の変わり目だったと言ってもいい。

 2017年、人生で初めて大きな旅をした。東京で数々聴いたヨーロッパの音楽に触発され、ヨーロッパに行きたいと強く思い、二ヶ月間ヨーロッパの各地を旅することにした。スイス、イタリア、ベルギー、フィンランド、エストニア、ノルウェーなどを気の向くまま旅をした。その旅の最初の目的地として、Nik Bärtschのいるスイスを選んだ。東京で聴いた彼の音楽がずっと頭にあり、彼が毎年夏に開いているワークショップに参加することに決めた。十数人の参加者と、美しい自然の中で一週間共に過ごし、音楽セッションや身体を使ったエクササイズを行なう。Nik独自の哲学がたくさん詰まった、目も心も大きく開かれるワークショップだった。同じように彼の音楽に影響を受け、同じように自らの音楽経験を深めようというこころざしを持った人たちが集まっていたから、彼らと過ごす時間は本当に楽しかった。その頃ほとんど英語が話せなかったが、自分より若い彼らがよく面倒を見てくれたし、何より音楽が言葉を補ってくれた。

 私が影響を受けたNik Bärtschの音楽とはどんな音楽なのか。彼は自分の音楽を”Zen Funk”とか”Ritual Groove Music”などと名称づけているが、それは概念的なもので、実際的には、彼の作品名にもなっている”Modul(モジュール)”を使った作曲法が彼の音楽の最大の特徴と言える。Modulと聞いてピンと来る方がいるかもしれないが、これは工学の用語で、いくつかの部品的機能が集まり、他のものと組み合わせ可能な要素・単位のことをいう(英語ではmodule、modulはドイツ語表記)。この考え方を音楽に置き換え、拍子、フレーズ、リズムパターンなど異なった要素を組み合わせることによってサウンドやグルーヴを作り出す、という方法を彼自身が編み出した。そしてそれをバンドで演奏すること、つまり演奏者一人一人も音楽全体を構成するModulとして機能することを、その作曲法と組み合わせて音の中に実現させたことに、彼の独自性がある。こう書くと機械的な音楽を想像されるかもしれないが、緻密な作曲技法や高度な演奏技術は、それを包括する音楽の世界観に隠れてしまうのがまたすごいところだ。
 実はこういった作曲の構造は能の音楽によく似ている。能では、演奏者全員が同じ拍節感を持ち(能は基本的に8拍子)、それぞれのパートで決められた法則に従ってパターンを演奏していく。パターンはそれだけではただの部品だが、他の楽器や歌と組み合わさることによってノリや間の生きた音楽になる。そのことを実感する経験をしたことがある。あるとき能の舞台を観ていたら、曲の途中で小鼓の音が聞こえなくなった。どうやら楽器の調子が悪くなったらしく、奏者は楽器を取り替えるために楽屋に引っ込み、再び舞台に戻って演奏が元通りになるまで2分くらいだったろうか、その間他の楽器は止まることなく演奏し続けた。もちろん、一つの楽器が不在でも演奏は可能だが、本当はあるはずのものがない、不完全な演奏を聴いたとき、逆に音楽の構造がくっきりと見えた気がしたのだ。ちょうどModulのように、部分は他のものと組み合わさることで機能し、全体の模様や輪郭を形作るのだということを、そのとき実感として理解できた。能の場合には、同じ楽器でも流儀ごと、また伝承する家や人によってパターンが異なったり、固定のバンドと違って毎回演奏者の組み合わせが変わるため、演奏の数だけ組み合わせが存在する。また、フルバージョンの「能」以外に、「舞囃子」「仕舞」「一調」など、曲の一部を演奏したり、一つの楽器と一人の歌い手の組み合わせで演奏したりという簡略形式で演奏される機会も少なくない。能はまさしく分解・組み立てが自由なモジュラー型音楽なのだ。

 2021年、NikがRoninを始めてからちょうど20年の年に、彼は自著を出版した。彼が実践している考えや行動、影響を受けた経験や事柄、バンドを円滑に運営するための方法論など多岐に渡る内容で、芸歴20年を記念したいわばNik流の芸論書といえるだろうか。その中の、彼の誠実さとユーモアがあらわれる文章を一つ紹介したい。ものづくりについて述べている章にある、こんな一文だ。
「あなたの世界に注意深く集中すること、また一貫して信じることで、芸術と人生の果てしない課題に、魅力的に、創造的に取り組むことができます。新しい展開を無理矢理こじ開けようとする前衛的なバールは、道具箱にしまっておきましょう。進化は自然に起こるものです。」
 この文章を読んで、能の父である世阿弥の言葉を思った。世阿弥も長い芸能生活の中で、その経験に基づいた膨大な量の芸論を残した。それらは子孫に相伝するために書かれ、伝わっていた書写本はつい最近まで秘蔵だった。それが明治時代に入ってから一般の目に触れられるようになり、現代に世阿弥の名が知れ渡ることとなった。その一つに『花鏡』という世阿弥が長い期間をかけて執筆したと思われる、稽古の奥義や芸の本質とは何かが書かれた書がある。その終わりのほうにこうある。
「ただ、能を知るより外の事なし。能を知る理をわきまへずば、この条々もいたづら事なるべし。まことにまことに、能を知らんと思はば、まづ、諸道・諸事をうちおきて、当芸ばかりに入りふして、連続に習ひ極めて、功を積む所にて、おのづから心に浮かぶ時、これを知るべし。」
能を知るということ以外にこの書が言いたいことはない、能を知りたければ、他のことは投げうって稽古に集中し年功を積むならば、自然と悟りを開いて能を知ることができるだろう、というのである。
 芸術において一つのジャンルが形成され揺るぎないものになるまでには、長い時間がかかる。能は世阿弥の時代にほぼ今の形になったと言われるが、それから700年の間にはさまざま変化を繰り返してきた。Nikの音楽だって、彼の芸歴だけがその道程ではなく、それまでのヨーロッパの伝統が継承され彼の音楽の中に流れ込んでできている。芸術は絶えず流れ変化している。その変化があるからこそ生き続けるのではないだろうか。私自身の作品や活動も、そういった流れの中にあることを、古い芸能や他の国の文化を知ることで、より強く感じることができる。

 私が能の研究を始めたのは、実はスイスでのワークショップがきっかけの一つだった。いつも、午前のトレーニングを終えた後に庭でみんなでランチをするのが日課だった。そのときNikと話している中で、彼が、日本の能が好きだと教えてくれたのだ。その頃私は能のことなんてまったく知らなかったから、何もコメントができなかった。でも、彼と交わしたその会話だけは強く印象に残っていた。東京に戻ってしばらくしてから私の頭に浮かんだのは、日本の音楽を学んでみようというアイデアだった。ワークショップを受けた翌年には私はもう京都にいた。ヨーロッパでのさまざまな体験が、私に行動を起こさせ、Nikがその最初のインスピレーションになってくれた。あの行動がなければ、今の私はない。何に集中し何を信じるべきか、それを見つけるまでは、しばしば他者が道筋を照らしてくれることがある。少なくとも私はそうして、関西や、能や、歌う世界に導かれた。

 9年ぶりに聴いたNik Bärtsch’s Roninの音楽は、より深化していた。以前に増してサウンドはダイナミックだが、より自然な音楽になっていた。一つ一つのモチーフは明瞭に聴こえてくるのだが、聴こえた瞬間に大きな川の流れの中に消えてしまう。瞬間が永遠に変えられてしまうような、始まりと終わりが溶け合ってしまうような、時間の概念が取り払われるような感覚だった。まるで能を観ているようだ、とも思った。
 今、2024年のこのときに出会った出来事に、未来の私はきっと何か特別な意味を見出すのだろう。

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