漫才における「フィジカル」 漫才衣装考察のすすめ
漫才=自由
漫才論争というものがあった。
M-1グランプリ2020の王者、マヂカルラブリーの漫才は漫才と呼べるものなのか。という論争である。
あれは紛れもなく漫才だった、と思う。
漫才は自由なものだ。
掛け合いで笑わせようが、動きで笑わせようが、歌で笑わせようが構わない。
ボケツッコミだって、あくまでそれがあった方が笑わせやすい、というだけで、絶対になければならないものではない。
小道具持ち込みのアリナシは意見がわかれるところで、個人的にも小道具を使う漫才は「ん?」と思う。でも、ギターとか楽器を使うのはどうなんだ、と言われると、それは許したくなる。
まあ、とにかく漫才は自由でいい。
この自由さは、漫才という枠を形作るものが極めてシンプルなことに由来すると思う。
つまり
舞台にセンターマイクがあって、そこに二人以上の演者がやってきて、目の前の客を笑わせようとする。
それさえあれば、漫才なのだ。
「ネタなんて作らんでも、2人が舞台の上でしゃべったら漫才になるねん」的な茶化しがあるけれど、それもあながち間違っていない。
もし、舞台にセンターマイクがあるのなら、それは確かに漫才だ。
センターマイクがあるからといって、そこに向かってしゃべる必要もなく、離れたところで動いていようが、最悪、二人ともなにもしゃべらなくても、それは漫才だ。
このシンプルな枠組みにこそ漫才の魅力がある。
ムダなものがないと、ムダなことを考える
ここで、観客の側から漫才について考えてみる。
シンプルでムダなものがない構図をどのように見ているのか。
シンプルな目の前にすると、人間は感覚が敏感になるらしい。
小道具があったり、コスプレしてたり、メイクしてたり、設定を理解しないといけないコントを見る時よりも、漫才を見るときの方が演者の細かいことが気になる。
ごちゃごちゃした部屋の汚れには気がつかないのに、キチンと整理された部屋の白い壁についたシミはわずかなものでも気付いてしまう、みたいなものだ。
例えば、東京03のコントを見るとき、ボケの角田さんと豊本さんの二人がどんな役を演じるときも、メガネをかけていることが気にかかる人は少ない。
なのに、おぎやはぎの漫才を見るとき、2人がメガネであることが気になる。
その証拠に、テレビに出始めの時のおぎやはぎの漫才を説明するとき、あの独特の間やテンポよりも「Wメガネ」が強調されていたように思う。
コンビの身長の差、体格、顔の良さ。
外見だけでなく、声質なんかも気にかかる。
コロコロチキチキペッパーズがキングオブコント2015で優勝したとき、登場前の煽りVTRでは、「ナダルの声に注目せよ!」という感じで、V終わりで二人で意気込みを語るシーンもナダルは声を発さずに対応し、ネタまでその声を聞かせないようにしていた。
しかし、コントに入ると「まあ確かに高い声だなあ」という程度で、それほど声に注目しなくてもよかったし、ネタ自体もあの声に頼ったものではなかった。
一方で、二人が漫才をする場合、かなりナダルさんの声に注目が行くようにできているし、実際にあの声で笑いが起きている。
麒麟のツカミ「麒麟です」は、先に美声を全面に出すことで、その後、あの声が観客の頭に引っかかり続けるのを防ぎ、かつ、川島さんの声の基準を先に提示することで、その後の声色の変化による笑いを強調するための布石だったのではないか、などと根拠のない論をしいている。
これも漫才ゆえに起きることだろう。
見た目と声質そのほか、演者自身の力では何ともしがたいものを、スポーツでよく使われる「フィジカル」という言葉で表すことにする。
漫才ではフィジカルが否応がなく強調されてしまう。
観客は目の前の演者のフィジカルについて一瞬であっても、つい考えてしまう。漫才というもののシンプルさによって。
オーソドックスなボケツッコミの役割についての説明でよく出てくる「ツッコミは観客の代弁者」という言葉をそのまま受け入れるとすると、違和感があるフィジカルがあるのなら、そこについてはツッコミが必要なのかもしれない。
ここまで書いて気がついたのだけれど、漫才は構造的にうっかりすると「フィジカルイジリ」の罠にはまってしまうのかもしれない。
しかし、「フィジカルイジリ」ほど繊細で微妙なバランスで扱わなければならないものはない。
少しでも油断すると、ひどく下品なものなってしまう。
あまりにも大きなリスクだし、それに見合うだけの結果(=笑い)をもたらすか怪しい。
となると、フィジカルに関しては直接的には触れず、観客が意識しているフィジカルの印象を活かすような方向の漫才をすることが重要になってくる。
フィジカルは一つの個性と言えるけれど、すぐには変えられないし、身長や声質など生まれもったものとしかいえないものも含まれる。
ただ、フィジカル的なもので自分で変えられるものがある。
衣装である。
続きはまた今度
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