目に見えないもの
前の職場で働いていた時、朝から出社して帰るのは20時頃だった。自宅は近いのですぐに着くのだけれど、全精力を仕事に捧げ疲れ切って帰った私に残るエネルギーはなかった。
主人の方が早く帰る方が多く、疲れ顔の私を気遣うように
「今日は食べに行こうか」
とつぶやく。その言葉に主婦としての仕事が何一つできていない自分を後ろめたく思った。本当は先に帰って夕飯のにおいとともに笑顔で「おかえり」と迎える、それが私が理想とする家庭だった。子供のころから温かい家庭を夢見ていた分、叶わない現実がずしりと熨しかかる。
プライベートを犠牲にしてまでもやるべきことなのか・・・?
5年間の専門学校、厳しい先生の元で「いつか見てろよ」と歯を食いしばって意地だけで国家試験を勝ち取った。そして10数年、それなりにプライドを持って目の前の命に立ち向かっていた。
30代、職場では中堅という立場。同期には子育てをしながら働くママさんナースが増えつつあった。同じ労働を少ない時間で終わらせなければならない、必然的に作業的になってしまったり、記録漏れがあったりと中途半端な場面が見えることも少なくない。人それぞれの事情があるし、専門職であるこの仕事は続けていくことで腕が磨かれるし、保つこともできる。数年のブランクで自信を無くしドロップアウトする人も少なくない世界だった。
私にはまだまだやりたい事があった。年々研ぎ澄まされていく看護観、数年あらゆる技術を身に付けられたら、病に臥した誰かを懸命に支えるような場所で働きたい。なんとなくの計画を立てている。
その中に主人との生活が加わっただけなのにどんどん歯車が狂っていく――
食事を済ませたその足で職場に戻ることも多々あった。それほど仕事は山積みだったのだ。誰もいない静かなオフィスで”私は一体何のために頑張っているのだろう”泣きながら淡々と作業をした日々を思い出す。
そして、壊れていった心
自分に自信がない分完璧にしないと。
今でもその癖が抜けない
自分のやりたい事の1つを今の場所ではしている。仕事は時間内に終わらせて定時に近い時間で職場を後にし、「今日は何を作ろうか」と冷蔵庫の食材を思い出しながら買い物を進める。主人が帰りつくまでまだ時間はある、動画を見ながら時々は新しいレシピにも挑戦する。
「今日のは失敗だったな、初めて作ったからね」と自分にフォローを入れながらも、二人で今日の出来事を話しながら食べる食事。
以前の私は出来なかったこと。
まだまだ仕事は失敗だらけだけど、料理は上達しないけど、ゆったりした時間の中で生活していると心は安定していく。
幸せを図ることはできない、そうだろう。穏やかな毎日を送りながら、これってもしかして案外幸せなのかなと感じるくらいの感覚なのかもしれない。また、人それぞれの幸せの形があるのも事実。
険しい道を選ぶ決心をした人
子どもの成長のために奮闘している人
仕事に情熱を注いでいる人
どんな人にも笑顔で毎日を過ごしていればOKなのかも
今日も夕飯の献立を考える。昨日はがっつり系だったから、あっさりなご飯にしようかしら。何でもない事を考えられる時間がある幸せを今は噛みしめていたい。
最後まで記事を読んでくれてありがとうございました!