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私はいつも誰かになりたかった

休職してから、YouTubeを見るようになった。そこには、何者でもなかった人たちが有名人になっていく。面白い動画つくって、評価されて多くの人に支持されるそんな世の中になっていることを知った。それだけ、私は仕事ばかりしていた。しなくなって始めて人に負けないこれだっていうものが私にはなかったことに気づいた。

私にはこれといって自慢できるものが何もない。勉強ができるわけでもないし、外見がいいわけでもない。中学生のときトイレの鏡で自分の顔が見たくなかった。今でも鏡に映る自分はあまり好きではない。

メイクをするようになって、店のモデルのようにきれいになりたいと思い買うが鏡に映るのは残念な自分。あんな風になれないとわかっているのに、また買ってしまう。そしてなれない自分にがっかりし、もっと嫌いになる。

一人カラオケが好きだ。好きな曲を歌い放題で感情のまま声を出す。唯一のストレス発散だ。歌い手のように歌えると満足するが、声が出ないときは不完全燃焼になる。最近は上手に歌えないことが多いのであまり行っていない。

セックスにおぼれているときは、相手は自分だけを見てくれているという優越感に浸っていた。体を重ねる度に求められていることで心が満たされていく。だからすぐに好きになってしまう。でも、相手は割り切っていることが多く、私に愛はなかった。心が満たされているはずだったのに、もっと虚しくなっていた。

有名な人になりたかった。有名になったらお金持ちになれるから。

きれいな人になりたかった。みんなにちやほやされるから。

愛される人になりたかった。幸せになれるから

私はいつも自分じゃない誰かになりたかった。何もない自分を埋めたかったんだ。現実を受け入れられず、いつか何かを成し遂げたいといっているようなものだ。自分を雑に扱っていたから、いいところを伸ばすことができなかった。鏡の前の自分を愛する事ができなかった。こんな私が誰かになれるわけがない。

人は何かを探して生きている。答えを見つけて新たに疑問が生まれ、次の答えを探し始める。私は何を探しているんだろう?

自分にしかできないことはあるのだろうか?

最後まで記事を読んでくれてありがとうございました!