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お母さんの手

『お母さんの手は魔法の手』

頭をポンポンと撫でられただけでたちまち僕の心はあったかくなる。お腹が痛くなった時はさすってもらうだけで痛くなくなっちゃうし、寂しくて甘えたくてお母さんの胸の中で手を触ってるだけで安心する。

「ねぇ、ボクの手とお母さんの手は何が違うの?」

前に聞いたことがある。

「タクちゃんがお母さんのことが大好きで、お母さんもタクちゃんのことがとっても大事だからだよ。お母さんもタクちゃんの手を触るだけで元気になるんだよ」

お母さんはそう教えてくれた。

好きな人の手は自分の心に触れることができる、小さい頃の僕は目を輝かせてその話を聞いていた。

優しいお母さんとお母さんの手が大好きだった。

遠い昔の話。それからしばらくして俺と母は離れ離れになった。最後の母は「タクちゃん、ごめんね」と俺の顔を撫でてどこかに行ってしまった。

"母さんはボクがいらなくなった"

小さいなりの思考回路を巡らせてたどり着いた答え。何か悪いことをしたのだろうか?好き嫌いしてニンジンを食べなかったから?保育園のお友達に意地悪をしてしまったから?
何で?何で?
後から考えても母が戻ってくるわけでもなかった。
父さんと男2人きりの生活は味気なくて…朝ごはんはパンだけ。こんなことなら母さんが作った料理は残さず食べるんだった。今ならどんなに愛情を込めて毎日ご飯を作ってくれたのが分かる。ごめんね、お母さん。


母がいなくなったのは俺が6歳の頃。保育園や小学校で同級生たちが母親と帰っていく姿を見てどうしようもない感情が渦巻いていく。
休日には家族でどこに行ったとか、誕生日には手作りのケーキを作って一緒にお祝いしただとか楽しそうに話す友達が憎らしかった。

"どうして母さんは僕と父さんを置いて行ったんだろう"

答えのない問いかけを心の中で延々と繰り返す。

本当は寂しかった。母さんともっと話したかった。実現しない願いは俺の心の中て膨らんでいき、やがて憎しみの矛先は母親に向けられていく。「あんな奴は母親でもなんでもない」中学になる頃には怒りの対象でしかなかった。小さかった俺を置き去りにして、理由も詳しく教えてもらえなくて、人生何もかもがめちゃくちゃになった。
学校にも行かなくなった、つまらないから。何をしていても苛立ちが収まらなかった。周りにいる大人が全員敵に見えた。どうにも抑えられないこの思い…誰かを傷つけてねじ伏せて自分を保っていた。父さんは、そんな俺を怒ったりはしなかった。逆にいつも謝ってきた。

「たくをこんな風にしたのは父さんのせいだ。ごめんな、たく。お母さんと離れ離れにさせてしまった。」

なんで謝るんだよ、なんで叱ってくれないんだよ。余計惨めだろう。俺の存在は父さんと母さんの負い目でしかないのか?

「なんで、
なぁなんでなんだよお〜」

悲しみ、絶望、怒り、苦しみ
負の感情が混じり合い迫ってくる。
もう涙は出ないんだ、これまで散々流しつくしたんだから

もう何かを壊したくない
でも

この思いは何処にぶつければいいんだろう?

何処に行っても抜け出せない蟻地獄みたいだ。この先俺はどっちに進めばいい?

気が付けばあてもなく走っていた。ただただ走っていた。

本当は知ってたんだ。母さんが俺の事を見捨てたんじゃないって、父さんが俺を引き留めていたんだって。愛されてなかったんじゃない、両親それぞれが愛してくれていたでも家族として愛する事が出来なかった。
認めたくなかった
母さんの手を放したくなかった
家族みんなで笑顔で過ごしたかっただけなのに。

言葉にならない声を叫びながら走った。
こんなことをしても何も変わらない、目の前にあるのは苦しい現実だ。でもこれからも俺は生きていかないといけない。辛くてもどうにか生きていかないといけないんだ。

14歳の春、俺は悩みだらけの渦の中にいた。
誰も助けてはくれない
信じられるのは自分自身
もう自分以外の人に振り回されたくない

「強くなろう」と心に誓った日だった。





あの時の俺は愛情に飢えていた子供だった。母親がいないことに拗ねて、何をしても叱らない父親に苛立ち、自分の思いだけだった。

あれから20年、俺は父親になった。
荒んだ心を拾いあげて支えてくれた女性と結婚した。家族という言葉に縁のなかった自分が幸せな家庭を築けるのか不安ではあったけど、二人で助け合って今日まで生きてきた。5歳になる息子がいつも笑顔で「パパ」と腕の中に飛び込んでくる、たったそれだけの事が本当に嬉しい。

最近少しだけ母親の気持ちが分かるようになった。きっと自分と同じくらい息子が大事だったからこそ母親の手はあったかくて、安らいで心地いいものだったんだろう。母と子の愛情という名の魔法だったのかもしれない。
こいつ(自分の息子)は、この魔法を感じているのだろうか?

あと数か月で6歳になる息子と当時の自分がリンクする。この子にはできる限り笑顔でいてほしい、そんな親ばかな思いが溢れてくる。心の中には愛されていた記憶が残っているのだろう。

「大丈夫、お義母さんの事思い出してたの?」

黄昏ている俺を心配そうに見つめている妻がいた。いつもそうやってタイミングよく心を読んだ様な発言をする。これも母性の成せる魔法なのかもしれない。




最後まで記事を読んでくれてありがとうございました!