いつになったら本当の「優しさ」が持てるのだろうか

感性がない

人として何かが欠けている、そう突き付けられたようだった。その人に私のすべてを分かってもらえているとは限らないけど思ったよりダメージは大きかった。あの人は○○がないなんて私には言えないし言いたくもない。できれば誰かのいい所をつかめるような自分でいたい。

全部わかっているつもりではない。それでも誰かのためになりたいとこれまでやってきた。泣いている人には寄り添いたかった、苦しみを半分にしたかった。今までの辛い経験をこの場所で活かそうと必死に誰かを励まして。
受け取った思いをどうにか持ち上げようと精一杯の言葉を放つ。「ありがとう」と涙を流してくれる人もいて、自分が必要とされているって充実感を味わうことさえあった。それなのに

"主観の入った言葉はいらない。場面に合った声のトーンで感性を磨いてください。"

私のやってきた「優しさ」は偽りだったのだろうか?

病んでいる人に元気を与えたい、生きる力を与えたい。
それには言葉は絶対に必要だ。苦しんでいる誰かの心に寄り添える言葉は何なのか、ない頭で考えだした言葉たちは安っぽく聞こえるのかもしれない。同じ言葉でも誰が言うかで見る角度は全然違う。何の肩書もない私が言うには重みが違うのだ。だからって自分を変える事はできない。

だって、私は私なんだから。

人の感性なんて測れるものではない、どこを基準に感性がある・ないと言えるのだろうか。今を生きている誰もが目で見て、耳で聞いて、話をして何かを感じている。私も見る表情、会話の中で感じない事なんてない。大切な人を心配したり、一緒に泣いたり。感性が無いのではなく、伝える表現力が足りないだけなんだと思いたい。




感情が切り取られた日

高校1年の頃、私の世界は暗黒だった。母親が居なくなって小さな弟と父親で過ごす苦痛な毎日、母に似た性格の私を父は標的にした。
「お前はいらない」「子供だと思ったことはない」
毎日のように人格否定される言葉を浴びていた。
最初こそ反抗していたけれど、毎日嫌でも入ってくる醜い言葉に体力は奪われていきやがて反論する元気さえなくなった。
「出てけ」と言われて荷造りをし家を出ると父は追いかけてきて、服や財布などの生活必需品が入っているカバンを川に放り込んだ事もあった。流されている自分の鞄を見つめて、「何であんなのが父親なのだろう」とただただ思った。バカバカしくて情けなくて涙も出ない、流すことさえもったいないと思った。
鬼の形相だった数分後にはニタニタと笑みを浮かべ「さっきはゴメンネ」と軽々しくそれらしい言葉を並べる。父親の態度1つで振り回される自分が腹立たしかった。怒りが私の身体いっぱいになって溢れそうになるのを必死で堪えた。思いのままに行動してしまえば同じ人に成り下がってしまう、それだけは絶対になりたくなかった。
当時6歳だった弟は言葉をなくし父に言われるがまま過ごしていた。小さい彼には感情を捨てる事が自分を守る唯一の方法だったかもしれない。
正直、父と過ごした数ヶ月は断片的にしか覚えていない。

記憶と共に何か大事な一部を置いてきたのかもしれない。

感動的な再会を描く番組を見て号泣する父。
1mmも涙が出ない私に「薄情な奴だな」と罵る。嗚咽しながら泣きじゃくるその人を気持ち悪いとさえ思った。

形だけの感動なんてしたくはない。心が動いたその時に涙は流したい。




記憶がなくても抱いた感情は鮮明に残っている。忘れたくても忘れられないか。





父が居なくなった今でも、言葉の呪縛に逃れられない。必要とされるように自分を飾るし、認められる様に言い訳を探している。一番なりたくない大人になってしまった。

いつになったら泣いている私を抱きしめられるのだろうか

頑張らなくていいんだよと言えるのだろうか

私が1番自身を苦しめている。


「本当の優しさ」
なんてない。誰かを守りたい、抱きしめたい、力になりたいと思い行動することに間違いなんてない。

ただそこに打算や忖度が入らないようにしたい。

純粋な思いだけが相手に伝わる


飾らない思いをぶつけられる強さが欲しい。





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