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懐疑の持つ力「なんで勉強しなきゃいけないんですか?」という問いについて

「なんで勉強しなきゃいけないの?」

誰しも一度は思ったことがあるだろう。

苦手な教科のテスト勉強中。
眠気まなこをこすりながらページを捲る受験期。
遊ぶのを我慢して机に齧りついてるのに、結果がでない時。
(そして、遊んでる人ほど、人生が順風満帆のように見える時。)

「なんでこんなに、勉強しないといけないんですか。」
「社会に出て、本当に役に立つんですか。」

それを問うた時、あなたは誰かから答えをもらったことはあるだろうか。
私はある。

「素晴らしい気づきだね。
そこに疑問を持つことが、実はとっても大事なんだよ。」

学生時代、藁にもすがる思いで吐いた言葉に
返ってきたこの答え。

はっきり言う。
クソみたいな答えだなと思った。


「なんで勉強しないといけないの?」は良い問いなのか

この問いについて、あなたはどう思うだろうか?

結論、私の考えとしては
「全く良い問いだとは思っていなかったが、
ごく最近、良い問いなのかもと思い始めた。」である。

冒頭で吐き捨てておいて、
曖昧な考えで申し訳ない。
でも、私の中でこの議題に対して考えるきっかけが最近多くて、
考えが変わりつつあったので、
残しておきたいと思った。

あなたは、この問いについてどう思うか、
ぜひ聞かせて欲しい。

良い問いではないと思っていた理由

学生の頃、
「なんで勉強しなきゃいけないんですか?」と聞いた時
「良い気づきだね。良い問いだね。」と言われた。

その時、率直に私が思ったことは、
「何が良い問いなんだよ。質問に答えろよ。」
である。

私が勉強の意義について質問したのは、
純粋に疑問に思ったからじゃない。

「勉強、意味ないですよね?」と言いたかったのだ。

あなたたち教師も大人も、
みんな勉強しろ勉強しろって言いますけど、
こんなに苦しい思いしながらやって、
本当に役に立つんですかね?

学生にとっては「勉強しなくてもいい」選択肢なんて実質なくて、
選ぶこともできないのに
こんなに押し付けてきて、
本当に、意味あるんですかね。
いや、ないですよね。
あるなら教えてくださいよ。

と、そう言いたかった。

つまり、勉強を押し売りしてくる大人というセールスマンに、
「メリットを提示してよ。
今のところ、あなたの商品に価値を感じないです。
負荷でしかないので返品したいです。」
というクレームでしかなかった。

ビジネスの世界なら、
「お客様の疑問は素晴らしい疑問ですね!
それが、大事なんです。」
とは返さないだろう。

あなたにとっては、こういうメリットがありますと、
数字なりで明確に説明するだろう。
そして、本当に価値があるのに伝えきれなければ、
それはセールスマンの責任だろう。

だから、私は「良い問いだね」という人に対して
少なからず怒りや呆れをいだいた。

教師がそれを言うもんなら、
「いやそれ怠慢でしょ。」とさえ思った。

勉強の意義も理解できないまま、
無限に降りかかる情報とプレッシャー。

意義がない中で、一体どうやってそれを受け止めればいいのか。
流れてくる情報は、暗号やお経と変わりはない。
ただ縛るだけ縛られて、
全く意味のない、無駄な時間を過ごすことになる。

特に学校に縛られる学生時代、
大事な約20年という時間が、
意義を見出せなければ無駄になるかもしれないのだ。
(実際、それでドロップアウトする人だって多い)

勉強する意味に疑問なんて、持っちゃいけないだろう。
持たせたら、いけないんだ。
もし持たせてしまったなら、うまく伝えられずに申し訳ないと思うべきだ。

「もしかしたら良い問いなのかもしれない」と思った理由

長らく、この問いに対して怒りに近い感情を持っていた私だが、
ごく最近、とはいえ一理あるかもと思い始めた。

一つは、「教育のパラドックス」である。

教育のパラドックスとは、
「わかりやすく教えれば教えるほど、相手は考えなくなり
結局得られる学びが少なくなる」
と言うものである。

確かに、インスタントに学んだものは、
インスタントに消えていく。
葛藤や悩み、傷を伴わなかった学習は定着しにくい。

だから、教える時、全てを教えてはいけない。
肝心なところこそ、教えてはいけない。
自分で自分だけの答えを見つけなければいけない。

なるほど、懐疑が持つ力はかなり大きいと思える。

そして、二つ目。
意義や目的ありきの学習は、確かに無駄のない学びになるが、
それだと、(当たり前だが)目的にそった学びしか得られないことになる。

実に狭い、自分が知っている範囲でしか世界を切り取れなくなってしまう。


「赤いポスト現象」を知っているだろうか。

何も考えずに道を歩いていると、
「赤いポストが何個あったか?」と聞かれても正確に答えられる人はほとんどいない。
なぜならそこに注意を向けていないから。
でも、「赤いポストを探してきてね」と目的を与えられたら、
ほとんどの人は正確に答えられるようになる。

だから、目的を持つことは大事だよと言う話なのだが、
これには落とし穴がある。

赤いポストを探している人間に、
道端の青い花は目に入ってこない、と言うことである。

目的として掲げているもの以外は切り捨てられてしまう。
本当に人生を癒すのは、青い花の方かもしれないのに。

目的や意義ありきの学習は、
無駄がないが故に、
かえって人生の幅を狭めているのかもしれない。

何が無駄で、何が無駄ではないのか、
何が意味があって、何が無意味なのか。
実はとても難しいことだと思う。

あなたにとって勉強する意味とは

あなたには、勉強する意味・意義はあるだろうか。

これ、実は「生きる意味はあるか」と言う問いに
置き換えられると思う。

以前の私は、「生きる意味なんてあるのか」と言う問いを
絶対に、「良い問い」だなんて言えなかった。
そんなこと言うやつ、サイコパスだろう、と。
そんなこと、子どもに言わせて平気なやつ、ロクなやつじゃない。
と、そう思っていた。
いや、今もそう思う部分はある。

でも、一理あるかもしれないと思ったのは、
「誰かに与えられた答えで生きちゃいけない」と思うからだ。
自分で、自分の生きる意味を持ってなきゃいけない。
誰かに揺るがされるものであってはいけない。

そして、自分で答えを見つけるには、
自分で問いを立てなきゃ始まらないのだ。

あー、教育ってだから難しいんだ。
その子が、自分で見つけるまで、見守らなきゃいけない。

他人が与えてはいけないし、
他人なんかが与えられるものではない。

「生きる意味なんてあるのかな」と
もし子どもに聞かれたら、
とても平気な気持ちではいられないし、
「良い気づきだね」なんて笑顔で返せる自信などない。

でも、「子どもにこんなことを言わせる社会なんて」
と悲しむだけの自分でもいたくない。

なぜそう思ったのかを寄り添って聞いて、
その答えは自分の中にしかないこと、
それでも、あなたにはきっとその答えを見つけられると言うことを伝える。
それくらいはできたらいいなと思う。



あなたにとって、勉強する意味、
そして生きる意味とはなんだろうか。
いろんな人の意見を聞いてみたい。


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