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建築論の問題群02 〈建築の自律と他律〉  つくる只中で発見する

能作文徳(能作文徳建築設計事務所・東京都立大学) 

 2回目のラウンドテーブルのテーマは「建築の自律性と他律性」である。坂牛卓氏のレクチャーを受けて、考えたことを簡単に述べてみたい。まず「自律性と他律性」を目的論的な問いと方法論的な問いに分けて考えてみた。目的論的な問いとは「なぜ自律性を問題にするのか」であり、方法論的な問いとは「なぜ自律と他律に分けるのか」である。

 最初の問い、なぜ自律性に着目するのか。それは現代の建築があまりにも社会的政治的存在になっているからだと考えられる。例えば東日本大震災後のコミュニティや社会的繋がりが着目されたため建築はその要求に応えようとし、深刻さを増す気候危機の影響やSDGsなどの目標により、環境に配慮したエコ建築が求められてきている。その反動とまでは言わないが、建築の自律性という問いが再び注目されるきっかけになっている。これは日本だけの現象ではなさそうで、先日スイスに行った際にも、環境問題が政治的イシューに取り囲まれているが、学生を含む若い世代の建築家は、環境問題への関心が高く、建築そのものの議論が少なくなっているようである。
 建築の自律性は、建築に内在する問題、固有の価値のことを指す。コミュニティや環境配慮の取り組みだけが評価基準に偏っていくのは面白くはない。そうなると改めて建築の内在的な価値を主張する必要があるだろう。

 二つ目の問いは、なぜ自律と他律という二つに分離できるのか、あるいは対比を使うのかという点である。建築の自律性は、建築に内在する価値であり、建築らしさと述べた。他律性はそれ以外のことを指すため、施主の要望、敷地条件、社会状況などである。いわゆるコンテクストと呼んでも差し支えないだろう。
 こうした自律・他律の対比に言語学的な影響が垣間見れる。善と悪、明と暗、形式と内容、といった二分法的な世界の見方は、ソシュールの構造言語学、レヴィ=ストロースの構造人類学に明確な形で理論化されてきた。構造主義的な建築の見方が建築の理論にも大きな影響を与えているように思う。自律と他律の議論もその中に入るのではないか。
 以下、方法論的な問いに着目して話を進めたい。

 私は東工大で「建築構成論」と呼ばれる方法で建築の見方を体得した。それは構造主義的な認識論だった。多くの建築(作品)を集めて、その中にあるパターンや類型を見出す。あるいは要素間の関係性からどのようなレトリックが生み出されるのか、形態あるいは構成と意味との関係を体系的に捉える。これはレヴィ=ストロースが様々な神話の中に内在する普遍的パターンを見出す作業と似ていると言ってもいい。そのような教育を受けてきたからこそ、構造主義的な枠組みを越えたいという欲求がある。実際の建築をつくるなかで、構造主義のように俯瞰的で整理された視点は持ちにくく、より動的な状態としての認識のしかたに魅力を感じるようになってきた。生命と環境あるいは多種の生命を分離しないで考える生態学の考え方の影響もある。

 例えばジル・ドゥルーズのポスト構造主義の思想、アクターネットワーク論に代表されるブルーノ・ラトゥールの思想に親近性を感じるようになった。そこでの考え方では、二分法を使わない。最初から物事を分けて考えることを避ける。超越的な視点で捉えない。自分は物事の只中にあるようにする(内在性)。しかしながら、構造主義的な教育を受けてきた私には最初はこの意味を言葉の上で理解した気がするが、なかなか自分の内臓にまで落ちてこない感じがしていた。アクターネットワーク論についての当初の理解は、アクター(点)とネットワーク(線)が結び合っている状態と捉えていた。つまりアクターとネットワークの二分法で理解していたのである。しかしアクターネットワークの本筋はアクターとネットワークが分離不能であることだと後になって理解できるようになった。人間は人間だけで独立して存在しているのではなく、スマホとともにあり、冷蔵庫とともにあり、衣服とともにあるような、絡まり合った存在様態であると認識できるようになった。これは人間と非人間の脱構築的な認識論である。このように物事を還元主義的な認識論からではなく、物事を脱構築的に理解することができるようになってきた。しかし脱構築的な認識枠組みを会得すると、現実理解が他の人と異なってくるために、認識のずれを感じていろんなことが気になって困る。

 私にとっては建築を自律と他律の二分法で捉えることがむしろ困難にさえ感じるようになっている。そのため建築の自律性とはその都度発見されるものではないかと思っている。例えば省エネは建築には外在的と思われる。 省エネのために建築側では断熱材を増やしたり窓を減らしたりすれば事足りる。断熱材によって壁に厚みができる。その厚みとは何だろうかと考えてみる。窓が少ないことは何だろうかと考えてみる。あるいは生産時の脱炭素を目指すためにコンクリートの量を減らさなければならないとする。そうすると木造建築のコンクリート量の大部分を占める基礎に見直しが迫られる。これが建物の構成法を変えることができるのではないかと考えてみる。言葉ではうまく記述できないかもしれないが、プロジェクトごとに建築らしさを掘り当てるような感覚でプロジェクトが進んでいく。
 自律と他律という概念モデルでは、建築の自律が設定され、他律となるコンテクストと適合させようとするという思考法にどうしても誘導されるのではないか。建築の操作主義(建築の形態操作によりコンテクストに整合させる)やパラメトリシズム(パラメトリックな操作による整合)に陥る可能性も含んでいるように思える。つまり自律的な建築形態が確定され、コンテクストに合わせて形態が変形することによってコンテクストに応答するという思考モデルである。

 建築はもっとダイナミックな思考に属していてほしい。どんな条件からでもその都度考えることができる。建築とは思われなかったものが建築になり、新しい建築が生まれる。つくる只中で「建築」を発見し、育てていく。そのためにはなるべく絡まり合っている状態のまま考える。いろんな事物を手繰り寄せて結び合わせていく感じである。


参考文献
坂牛卓、『建築の設計力』、彰国社、2020年
坂本一成ほか、『建築構成学 建築デザインの方法』、実教出版、2012年
久保明教、『ブルーノ・ラトゥールの取説』、月曜社、2019年
千葉雅也、『現代思想入門』、講談社、2022年
芳川泰久、堀千晶、『ドゥルーズキーワード89』、せりか書房、2015年


能作文徳
1982年生まれ、建築家、東京都立大学准教授。2005年 東京工業大学卒業、2010年 東京工業大学博士課程修了、2012年博士(工学)取得、2012~2018年 東京工業大学助教、2018~2021年東京電機大学准教授、2021年より現職。著書に『野生のエディフィス』(LIXIL出版、2021年)、ほか。受賞に第15回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館展示特別表彰、第33回JIA新人賞、日本建築学会作品選集新人賞、ほか。


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