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建築論の問題群04〈自然〉 建築にとって自然とは何か? その2-「四方域」のあな

田路貴浩(京都大学大学院教授)

 自然に外部はない。とはいえ、人間は自然の外部に立ちうると考える傲慢な習性を持っている。同時に、人間は自然から疎外されているという被害者意識にも取り憑かれてきた。

 人間が自然の外部に立つことができると考えるには、それなりの理由がある。それは人間が記号能力を持ったことによる。言語や数学といった記号体系を獲得することによって、自然とは別の人間の世界がつくり上げられてきた。しかもそれは自然を写し取り、記述することができ、おまけに操作することさえできる。自然、前回の呼び名を使えば「大宇宙」は、人間が操る記号の手のひらのなかにあるような錯覚が生まれる。

 自然の必然からの自由は、人間の本能的な生存欲求である。人間は自然の必然からの解放によって、自己の生を拡大してきた。そのうち、生命も知能も自由にできるだろう。お釈迦様の手のひらの外に脱出できる。いま、人類は積年の夢の実現に近づきつつあると思っている。

 しかしその一方で、人間には、自然の必然と人間の自由の調和を求める欲求も内蔵されている。自然と人間が調和する世界は古今東西を問わず、さまざまな芸術や思想の主題とされてきた。ただ、自然と人間が調和し、そこに真善美が宿るという思想は理想主義的で、ときにあまりにもナイーブすぎる。それゆえ、近年注目されている哲学者ティモシー・モートンは、こうした性癖を「美しき魂症候群」と揶揄している。

 「美しき魂症候群」の典型の一つに、ハイデガーの「四方域」というロマンチックで懐古主義的な世界を挙げることができるだろう。これは明確に概念規定されているわけではないので説明に窮するが、要するに天地神人がひとつに集まって調和する美しい世界であり、すべてのものは自らの本性を発揮し、他を抑圧することなく、すべて必然的でありかつ自由な世界だとイメージしてよいだろう。ハイデガーの言葉を拡張して考えるなら、こうした天地神人が集めるマグネットが「物」であり、さらに言うなら芸術的な「作品」ということになる。

 ハイデガーが「作品」の例として挙げているのがギリシア神殿である(ハイデガー『芸術作品の根源』)。岩山にそびえ立つその「作品」には、神々と自然の雨風、人間の闘いの記憶や祈りが集められている。たしかにギリシア神殿が天地神人の集摂点であったことは、現代のわれわれも理解できる。人間は自然の折り合いのつけ方として神殿という装置を使った時代があったのだ。だがいま、われわれは神殿をつくるわけにはいかない。

 はたして建築は、自然と人間の接点という役割をふたたび果たすことができるのだろうか。そのヒントもハイデガーに探すなら、「建てる、住まう、考える」という小論はおおいに示唆的である(中村貴志『ハイデッガーの建築論-建てる・住まう・考える』)。

 ハイデガーは、建てること、住むこと、考えること、これらの連続性を論じている。逆に言えば、現代社会では、建てること、住むこと、考えることがバラバラに分断されてしまったことを批判しているのである。ハイデガーの論述はいつものように語源学を多用したレトリカルでポエティックなものであるのだが、文体にとらわれず趣旨を読み取れば、現在、若い建築家たちの取り組みにそのまま当てはめることができる。

 たとえば能作文徳と常山未央の「西大井のあな」は、購入した中古ビルを、住みながら、考えつつ、改修するというプロジェクトで、まさに建てること、住むこと、考えることの実践である(能作文徳+常山未央『アーバン・ワイルド・エコロジー』)。それはハイデガーの語る「作品」とはおよそまったく異なるものであるが、自然と人間の折り合いを求めてさまざまな試みが重ねられ、そこに集う人々は実践をとおして小さな自然の営みに気づき、もしかすると大宇宙を感じているかもしれない。建築家からすればありがた迷惑な解釈かもしれないが、それはハイデガーの「四方域」の実例であり、大宇宙へと通じる「あな」となっている。

 人間がみずから分断してしまった自然界と人間界のつながりをどのように回復するのか。中沢新一はその手がかりを「喩」に求めている(中沢新一、國分功一郎『哲学の自然』)。「喩」とは、比喩の「喩」であり、異なるシステムにあるものを結びつける人間の能力のことのようである。記号の象徴作用と理解できるかもしれない。人間は言語と数学によって自然とは別の人間的な人為の世界を構築してきた。しかし逆にそれが自然との接点ともなる。あるいは大自然をかいまみる「あな」ともなる。それはハイデガーのように詩的な語り口によることもあるかもしれないが、現代の建築家にできることは、自然の法則に極力合理的にしたがって人間の生活との折り合いをつけることであろう。そうした実践のどこかで、あなの先の大宇宙に気づく瞬間があるのだろう。

田路貴浩
京都大学大学院教授。1986年京都大学工学部建築学科卒業、1990年同大学院修士課程修了、1995年同大学院博士課程退学、1996年博士号取得/1996年明治大学理工学部専任講師、2000年同准教授/2008年京都大学大学院工学研究科准教授/2020年より現職


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