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私の風の谷①

きっかけは、今朝見逃し配信で見ていたドラマ。

「あなたには◯◯子より大切なものがあるでしょう」

だからあなたは彼女を幸せにできないんだ的なセリフ。

そこから、自分の大切なものとパートナーシップにおける距離感→恋愛→結婚などなどについてぼんやりながら突き詰めて考えていくと、結局、風の谷が作りたい。となった思考の過程の備忘録。

自分の大切にしていることと、大切な人

◯◯(←人間)より大切なもの。自分のやりたいこと(仕事も含めて)と大切な人。どちらが大事かを比べられるほど、やりたいことがある、大切な人がいるというのは人生が結構充実しているからかしら。

じゃ、やりたいことへの情熱ってなんぼのもん?命かけてまでやりたい?命までかけちゃったら、もう幕末の志士みたいでそれはそれですごいけど、行き過ぎるとなんだか執着になってしまいそう。今のところ私はやりたいことに命までは懸けられないような気がする。

では大切な人はどうだろう。私の場合は、男女関係や夫婦関係での「どっちが大事?」と聞かれると、いまだに自分より大切なパートナーには残念ながら出会えていないけど、自分の子どものためなら確かに命は懸けられる。もし彼らに危険が迫ったら、自分一命を賭してでもなんとかしたいと思う。とはいえ、ずーっとこどものことだけ考えて、常にこどもファーストは無理。

なので、どっちも大事で、要はそのバランスとタイミングを上手に取っていくことなのかなと思う。

パートナーシップにおけるどっちが大事論

ドラマの話に戻るが、このドラマでは、もちろん自分の子供に「どっちが大事?」と聞かれているわけではなくて、いわゆる一般的な男女関係の中での会話だ。

恋愛関係の中で自分という存在が一番大事と他者から言ってもらえるのは、嬉しいものなのかもしれない。でも、それってちょっと重い…と私は思ってしまう。私より大事なものがある人の方が、いい距離感を保てそうと思う。

そして、そもそも「あなたには◯◯子より大切なものがあるでしょう」という言葉の裏には、「僕は彼女が一番大切だから、彼女を自分だけの“彼女”にしたい」とう気持ちから発せられた気がする。

最近そこに妙な違和感が。人間関係間の所有概念はそろそろ解脱した方が、色々楽だし便利なのでは?

人間関係における所有の概念

毎週楽しく拝聴しているホニャララLIVEの#003回でもそのようなことが語られていた。

ホニャララLIVEより引用〜これから婚姻とか家族の概念が変わる。自分の子ども、自分の配偶者を自分の所有物と考える意識を人間は超えていかないといけない。家族ごとのユニットは効率が悪い。嫉妬という感情、所有欲を超えないといけない。恋愛は一種の趣味趣向と同じで、恋愛概念も卒業しないといけないのでは。

この意見、激しく同意。本当に、家族だけで子育てするのはとてもとても大変で、疲れるし、効率も悪いよ。

子どもは社会の宝だ、とよく聞くような気がするけど、ならば社会みんなで色々な価値観にさらされながらみんなで育てたいなと最近よく思う。

ただ、ひとつ、このホニャララLI VEの中で触れたれていた、人類における恋愛の卒業については少し違う考え方が湧いてきた。

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