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蟹座新月に想ふ“家族”のこと

半年前から、星読みを少し勉強している。7月に誕生日を迎えた私は、太陽星座:蟹座だ。蟹座といえば、占星術では心や家、居場所、家族などを表すと言われている星座ということは、少し星を勉強した人なら基本の知識ではなかろうか。

蟹座で迎える新月の今日この頃、自分の家族について考えたり、子ども時代を振り返る時間が、なぜか増えている。やっぱりこれも星のせいなのだろうか。

「実家?そんなんあったけ?」

先日、私の生まれた日時の星(ホロスコープ)を読んでもらう機会があった。その際、「これから人生が進むにつれて “実家?そんなもんあったけ?“みたいになりますよ。」と言われた。(ちなみに、私のネイタルチャート4ハウスは星が全くない)実家・家族と離れて暮らし二十有余年。これまでの人生の半分は実家を離れて暮らしているわけだが、家族のことは大好きだったし、実家に対する思い入れも強い方だと思っていた。なので、実家と縁遠くなっていくと初めて言われた時には、「え?うそやん。またまた~」っと思っていたのだが、不思議なことに、最近は段々とそうなっていくであろう自分が、遠くに見えている感じがするのだ。

一週間前、エリー学園で紹介していただいたyasukoさんにチャクラリーディングをしていただいた。(先月から、大宮エリーさんの主催するエリー学園というオンラインコミュニティに入学しました)そのリーディングの際にも、yasukoさんに私と家族の関係について言及された。「幼少期、家族から浮いてるとか、自分だけ違う、疎外感を感じている姿が見えますがどうだった?」と。最近まさに思い出しかけてきたことを言われて、やっぱりそうだったんだなぁと妙に納得した。私は自分の家族に馴染みきれない、一人浮いた存在だと感じていた。

大好きで、居心地がいいと思ってた私の「家族」という居場所。もしかすると、そう思い込もうとしていた部分があるのかもしれない。家族と離れて暮らす分、「私には帰る場所がある」と思いたかった気持ちがあるのかもしれない。先月、実の妹が近所に引っ越してきたことをきっかけに、子ども時代に家族に感じていた感情を思い出しかけてきた。

“風“の家族のなかに、“水“の私

私の家族は、父、母、3歳年下の妹と私の4人暮らし。すこし占星術の話になってしまうが、星のことを勉強すると、星座にはエレメントなる属性がある。そこで父・母・妹は”風”星座の人たちであることを知った。私は蟹座なのでエレメントは”水”。だから浮いていたというそんな単純な話ではないのだけれど、星から見ても私だけやっぱり違うのだ。

私の中にも“風”は多めなのだが、太陽星座とアセンダントなるものが”水”の私は、どうしても人の感情や気持ちが気になってしう。だから、子どものころから「みんなと一緒」がよかった。その方が心が落ち着くから。友達や学校の中で浮きたくないし、変に誰かの気持ちを逆なですることもなく穏やかに過ごしたかった。今は個性の時代だし、オリジナリティを出そうとすること良しとされる風潮も出てきたけど、私の幼少時代はまだそうではなかったので、「みんなと一緒」が安心し、そうありたいとする私だった。でも私の家族は違った。みんなと違うことに気が付かない父(双子座)と、みんな一緒とか違うとかは気にならない妹(天秤座)、みんなと一緒なんてダサいやん!と思っている母(さすがの水瓶座w)。そんな中で育った私は外の世界に同調しようとするがために、家族で少し浮いてしまっていた。

昔、心に刺さった小さな棘

もちろん、家族から虐待を受けていたわけでも、ネグレクトされていたわけでもない。父と母にはちゃんと愛されていたと感じている。でも、ほんの些細だけど違っていたことが、小さな棘になって心の見えないところにささっているのを最近感じる。

盆と正月に帰省するおばあちゃんの家で、最終日に必ず出てくるごちそう「穴子のひつまぶし、天ぷら盛り合わせ」。私はチクチクするアナゴの骨が嫌いだったし、脂っぽい天ぷらは食べられなかった。他の家族は喜んで食べていたけど、私だけ握り寿司を頼んでもらっていた(今思えばそれはそれで贅沢…)。家族の中で漫画を読むのも私だけだった。妹なんて、小学生の頃に広辞苑をいつも読んでいた。そんな家族で、もちろん父も母も漫画は読まないし、特に母は漫画は低俗なものだと思っていたのか、私が友人から漫画を借りてコソコソよんでいると、嫌な顔をしていた。(その後、漫画のすばらしさを何度も母にプレゼンしてわかってもらえたのか、古本市にでてる漫画を買ってきてくれるようにはなったけど)。

きっかけ

そんな昔のことを色々と思い出すのは、星読みをしていただいたり、チャクラリーディングをしてもらったりというのもあるのだが、一番のきっかけは1ヶ月前に妹が私の住んでいる島に引っ越してきたことだ。妹は引っ越す前まで、シングルマザーで子どもを出産し、2年間こどもと実家で暮らしていた。実家では特に定職にもついておらず、パートナーもいないので、私が島で募集していた仕事に誘ったのだ。妹の引越し後、家族グループラインは、妹と孫の不在を寂しがる父と母のやり取りがながながと続いていた。私は「私が彼らを引き裂いてしまったのでは」という罪悪感がもあり、家族のグループラインを見るのをやめた。私も里帰り出産で2回、合計約1年帰省していたのに、その時は全然寂しそうじゃなかったやん!え、私の存在無視ですか…そんな怒りも少し湧いてきた。が、そのあたりから、「こうやって私の心は家族から卒業していくのだ」とう気持ちも同時に湧いてきた。

家族LOVEという幻想から卒業

そこに愛は確実にあった。愛されていたし、ちゃんと育ててもらっていた。ただ、他の家族と私だけ少し違うことが多かった。浮いていた。その溝を埋めようとう無意識が私の中の「実家LOVE」を作り出していた気がする。それもまた幻想だった。もしかして私は、実家というこだわっていた居場所からそろそろ卒業して、自分の居場所を自分で作っていく時期に来たのではなかろうか?とおもう。もちろん家族であることには変わりないし、父も母も妹も大好きだけど、いい心の距離感で付き合っていこうとおもう。そう思えてくると「え?実家?そんなもんあったけ?」の意味が腹落ちできてきた。

チャクラリーディングの時にもう一つ言われたことは、「家族の中でわかってもらえない孤独を感じていたから、自分の中で思考するようになったのかな。それが今のご自身のベースを作っているんじゃないかな」と。私の妄想癖・思考癖はそんな子どもの頃から構築されていたものだったようだ。


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