死神のエピソード

米津玄師さんの曲「死神」が良すぎた。
特にMVが素晴らしく、短いけれど惹きつけられる。
これは落語の演目「死神」が元のようで、私は落語にずっと興味があるものの、まだちゃんと聴いたことがないのでいよいよ聴かなければと思った。

さて死神というと、私にはエピソードが二つある。どちらも二十代の頃の話。
先に断っておくと、会ったことはないので安心してください。夢の話と、偶然の話です。

ひとつめは夢の話。
一人暮らししていた頃、夢を見た。
夢の中で私はハタチまで住んでいた家のリビングに居た。
そこに全身黒い服を着た知らない青年が隅で腰掛けている。
お迎えに来たという。あの世へのお迎え。
そうか、とちょっと残念に思いながら、その青年に名前を聞くと、"かみき りゅうすけ"と言う。
某有名な俳優さんと一字違い。
たぶんその日に何かでその俳優さんを見たんだろう。
といっても、まだその頃は子役で小学生だった。
なので夢の中の青年は見たことのない青年である。

そしてなぜか私はどういう字を書くの?と名前の字を聞いた。
カミキは一文字で、線をグシャグシャとイガグリの様にまるめたような字だった。

次の場面で私はそのカミキ青年と、田舎のおばあちゃん家の庭にそっくりの場所にいた。
私が大人になるまで毎年訪れていた、宮崎の山奥のおばあちゃん家。
私が好きな場所。
ここがあの世か、全然イヤな感じじゃないな、と思った。

そこで夢は終わり。
特段特別なことは起こってない。
でも全身黒服であの世からお迎えに来た、というのはとても印象的で、日記に書き残した。


ふたつめは偶然の話。
20代の頃、私は一人暮らしのアパートで小説を読んでいた。
その頃伊坂幸太郎の小説にハマっていて、
その日は伊坂幸太郎の「死神の精度」を読んでいた。

読み始めるとき、私はふと聴きたくなって音楽をかけた。
バッハの無伴奏チェロ組曲。
学生時代吹奏楽をやっていたのもあり、2、3枚だけクラシックのCDを持っていた。
記憶では、そのCDは最近聴いてなかったけど、その日は久々に聴きたくなったのだった。

その小説の主人公は死神で、音楽が好きという設定。
仕事の合間の時間はCDショップに寄って試聴するのが好き、という。
話の中盤、死神が、この曲はなんだ?という。
そのとき小説の中でかかっていた曲は
バッハの無伴奏チェロ組曲だった。
背筋がぞくぞくっとした。
曲の題名が出てきたのはそれだけだった。


私の20代の頃といえば、なんで生きているのか分からなかった。
何のために生きているんだろう。
でも生きているからには何かしなきゃいけない。
という仕方ないような気持ちで生きていた。

でも今は、生きたい!と思っている。
特に子供が生まれたとき、このために生きていたんだ、未来をつないでいくためだ、と思った。
受動的ではなく能動的に、生きるぞと思っている。
なのでもし死神さんがいたら、当分の間は放っておいてほしい。
家系的には90代後半が寿命なので、そのときまでそっとしておいてくれると有難い。

余談だけど、夢で出てきたカミキ青年のカミキという字。
私はその後、漢字の起源の甲骨文字に触れる機会があったのだけど、その甲骨文字の辞書を見ていたら、そっくりな字があったのだ。
その字は、神に捧げるお焚き上げの薪を現していた。神の木。
これもまた偶然である。

もうひとつの余談。
私は俳優の方の神木さんに会ったことがある。
夢とどっちが先だったか忘れたけど、
神木さんがまだ小学生のとき。
神木さんが映画の主演で、その映画の初日舞台挨拶後の打ち上げが、私が働いていた飲食店であった。
大勢の大人が集まる中で、まだ小学生だった神木さんは堂々と乾杯の音頭をとっていた。
明るくて子供らしさもありながら、しっかりと挨拶を述べて、元気よく乾杯していた。
オレンジジュースかリンゴジュースどちらを持っていったか忘れたけど、ジュースで乾杯してた。

今は青年になり素敵な俳優さんになられて、当然ながら私の夢に出てきたその青年は違う人だ。
でももし神木さんがいつか、死神の役をやったらどうしよう、とちょっとドキドキしている。

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