とことん人間は自分を物差しにしているという話①

 人は毎日何かを評価して生きている。「このリンゴ甘くて美味しいな」「この道は滑って危ないな」「あの人は優しいな」

 もちろん今評価したな、なんて思わないわけだが確実に評価している。そしてこの評価というのはとても不思議な物だと感じる。

「このリンゴ甘くて美味しいな」これは能力と経験で評価している。「このリンゴは今まで食べたリンゴ平均に比べてより甘くて私の味覚能力が美味しいと感じました」

「この道は滑って危ないな」これもたぶん同じで能力と経験。「この道は普段歩く道より摩擦抵抗が少なくて自分の靴と歩行能力だと危ないな」

 この主観と経験っていうのは俺達みんながたいして特別な人間じゃないという前提を元にすると共感にかわる。過去に同じような感想を抱いて同じような経験をしてきているから「甘いね~」「危ないね~」なんて会話が成立するわけだ。

 めちゃくちゃ甘いリンゴがある星から来た足腰最強星人が地球に来たとしよう。「このリンゴは甘くないな」「この道は歩きやすいな」なんて思うわけ。そこに共感はなく異分子としてきっと嫌われちゃう。

 俺は人と同じ評価をするのが嫌いだ、そして幸い日本に何人もいないような変な生活を送っている。望んでそうしているところもある。当然他人にとって共感出来ない嫌われちゃう考えを持っているわけだ。例えだが俺はリンゴを食べたこともないし坂道なんて歩いたことないんだから当然だ。そんなヤツみんな好きじゃないし俺も好きじゃない。想像力だけで共感してみんなの端っこにしがみついてる。

 俺は俺の物差しでしか世界を見れなくて、人は人の物差しでしか世界を見れない。もし俺と同じ物差し持ってる星人が居たらいいのにな。一緒に甘いリンゴを食べたいな。



途中でめんどくさくなったのでタイトルに①って後付しちゃった。後で書き直します。おわり

※「あの人は優しいな」はただの事実確認「あの人は私に親切にしてくれて優しいと感じられる瞬間があるんだな」



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