オタクでもなくなった男①

人生で最初にハマったアニメはエヴァンゲリオン

 俺が最初にハマったアニメは新世紀エヴァンゲリオンだった。年齢的にリアルタイム世代ではないし再放送世代でもなく、その後の世代としてレンタルビデオ屋のTSUTAYAで借りて見漁った。

エヴァンゲリオンは最終回の特異性、映画公開後に人気が再燃したこと、何度か社会現象になったことから、リアルタイム世代(1995年)、再放送世代(1997年)、谷間の世代、パチスロ世代、新劇場版世代と層が分かれている不思議なアニメ

 もちろん小さな頃から児童向けのアニメや夏休みの再放送朝アニメなど触れてはいたのだが本当に好きになったのはエヴァンゲリオンだった。

 俺がエヴァというアニメにたいして抱いていた感情は憧れだったのだろうと今ならわかる。

エヴァンゲリオンの有名なシーンにこんなのがある。

 ヤシマ作戦と呼ばれる日本中の電力を陽電子砲として超防御力の敵にぶつける作戦だ。その決戦数分前の会話。綾波レイという無口な女と碇シンジという気弱な男の会話だ。

シンジ:綾波はなぜこれに乗るの?
レイ:…絆だから。
シンジ:絆?
レイ:そう、絆。
シンジ:父さんとの?
レイ:みんなとの。
シンジ:強いんだな、綾波は。
レイ:私にはほかに何も無いもの。
シンジ:ほかに何も無いって…
レイ:時間よ。行きましょ。
レイ:じゃ、さようなら。

こんなシーンもある。

 こっちは碇シンジと、強気でプライドの高い惣流・アスカ・ラングレーという女の会話。2人は同時に倒さないと復活してしまう、ゲームではよくいるタイプの敵を倒すため動きを合わせようと特訓中。特訓のために同じ家に住むことになっている。

アスカ:ミサトは?
シンジ:仕事。今夜は徹夜だって、さっき電話が。
アスカ:じゃあ、今夜は二人っきり、ってわけね。
アスカ:これは決して崩れる事のないジェリコの壁!
シンジ:はぁ…
アスカ:この壁をちょっとでも越えたら死刑よ!子供は夜更かししないで寝なさい!

なんてかっこいい会話なんだ!と当時強く思った。そして強く憧憬した。

 なんて言ったって俺達現役中学生の会話なんてこんなもんだったから。「あそぼ~」「いいよ~」「ばーか笑」「うるせー笑」「テストが大変」「部活が大変」「昨日みたテレビが~」

 とてもじゃないけど月をバックに「絆」だとか、部屋の襖を「ジェリコの壁」だなんて言葉を発したことはなかった。

ジェリコの壁とは簡単に言うと聖書に載っている凄く硬い壁、誰も通さない壁

何故憧れたのか

なんでこれほど憧れたのか、若い俺にはわからなかったのも仕方ないと思う。

 ただこれがきっと今に至る俺の悪い癖や考え方に繋がっているのだと今はわかる。当時の俺のために考えてあげよう。

 恐らく始まりは小さな頃の育ちにある、小さな頃から俺は海外を行き来しカナダやアメリカの学校にも通っていた。家はそこそこに裕福で仕事の都合で年に何回も引っ越しをした。

何回も引っ越し、学校を替えると身につく能力がある。

所詮俺達はたまたま出会った関係であり、人は出会った人としか関われなく、今出会っている人達はベストではなくベターであり自分の周りという小さな枠の中でやりくりしているだけなのだ。という考え方だった。

 こんな考え方を小さな頃からもっている俺がほんとうの意味で他人をリスペクト出来るわけもなく、聖書を引用して会話が出来る深い友人なんて出来るはずがなかった。

自分が持っていない物に憧れたのは、きっと当然だったのだろう。

 手前味噌だが幸か不幸か勉強やスポーツもよく出来、体も大きかった俺はさほど友人が多くなくてもイジメられることはなく、他人より出来るという自負から周囲を見下していった。最低だ俺って……

一方的に聖書を引用し難しい言葉を使い哲学を語る14歳時の俺は間違いなく『ヲタク』だったのだ。

続く


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