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SNSで大絶賛の『スポーツ嫌いは悪いことなの?』はアホ

まずはこれを読んでほしい。

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(朝日新聞6/17)

・言いたいこと①
自分の不出来を原因にして物(やコト)の絶対価値を決めるべきではない

・人はそもそも間違えやすい生き物である、すぐ見間違えるし聞き間違えるし勘違いする。これは感情も同じで感じ間違える。
よく「感じ間違え」はバイアス(偏向、先入観、データ等の偏り、思い込み、認識の歪み)なんて言葉で言い表される。

・よくあるバイアスで「得意だから好きだと勘違いする」「苦手だから嫌いと勘違いする」ってのがある

・これを原因にしている主張で頻繁に見るのでいうと「運動が苦手なので体育の授業はこの世から無くなるべきである」「算数が苦手なので算数の授業は将来なんの役にも立たない」とかかな
冷静に考えたら筋の通ってない主張だとみんな思う。だけど人は本当にそう思ってしまう瞬間がある。自分の苦手な物が必要ないと思い込んだことあるよね?

・苦手を原因にした嫌いっていう勘違いは勘違いなので直すべき。得意を原因にした好きっていう勘違いは毒になりにくいので優先度は低いけど勘違いなので直すべきである。

・言いたいこと②この大学生(千葉19)は阿呆


・まず大学生(千葉19)の主張をまとめる
①政府がスポーツ嫌いを減らす目標を打ち立てたけどそれは個人の感情を操作しようとする怖いことだ
②スポーツ嫌いなことは悪いことではない

・順番にこいつを壊そう
まず体育の日(現スポーツの日)の制定趣旨は「スポーツを楽しみ、他者を尊重する精神を培うとともに、健康で活力ある社会の実現を願う。」
オリンピックの趣旨は「スポーツを通して心身を向上させ、文化・国籍などさまざまな違いを乗り越え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって、平和でよりよい世界の実現に貢献すること」

・要するに世界も日本もスポーツに求めているのは得意であることではないのだ。
求めているのは「健康な人が増えること」「連帯感や尊重する心を学ぶこと」
要するにスポーツを好きな人を増やして感情を操作したいのではなくて、健康な人を増やしたい(医療費を減らしたい、1人当たりGDPを増やしたい)、連帯感や尊重する心を学ばせたい(社会安定度を増やしたい、1人当たりGDPを増やしたい)のだ。

・ここまでは勘違いで済むしアホまでは言わない、②が決定的にアホすぎる

嫌いな人を減らさなければならないほど、スポーツ嫌いなことは悪いことなのだろうか。

文脈を脈々築いて勘違いさせる構成になってるけどこれだけ読んでホントに違和感感じないか確認して欲しい。
嫌いは個人の感情であって尊重されるべきものであるから他人に操作されたくないはギリギリ、本当にギリギリ通す。
嫌いは減らさなくてもよい尊い感情である。これをついでに通す人はいないだろう。
嫌いは悪い感情であって基本出すべきではないし直す努力をしながら付き合っていくものである。

・俺はゲイと黒人は嫌いだが悪い感情だとわかっている。対処として自分で関わらないようにしている。
俺はゲイと黒人は嫌いだ。尊重されるべき意見である。
・かなりの詭弁だけど俺は自分の嫌いと向き合って努力している人間が尊いと思う。

・言いたいこと③
これに対する反応にはまともな人もいる

・人が感情的だったり理屈がなかったりが原因でめちゃくちゃなことを言っていても、めちゃくちゃな部分を聞かなかったことにして相手の理屈が通るように再解釈して、理屈を補完してあげ会話を試みる人が一定数世の中にいる。
・俺はそれが賢い行為だと思うし相手を諦めないリスペクトした尊敬出来る態度だと思う。
そして相手を補完してリスペクトしながら話してみると思いがけず面白い話を聞けることも多い。


・「負うた子に教えられて浅瀬を渡る」なんて言葉もあるように、愚から学ぶことも多いしどんな阿呆からも学ぶことはあるのだ(愚や子に例えるのはリスペクトが足りてない)


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