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【短編】 このおとぎ話は執筆中 【題材:まこぴ誕生日イベ2021】



去年と同じカフェ。
全体が見渡せる壁際の隅の席でパソコンを開く。
かわいいメイドさんとイケメン執事さんが、
華麗にケーキやドリンクを運んでいる。
落ち着いたBGMに、時々聞こえる笑い声で、テーブルの紅茶が香り立つ。
そうか、ようやく今日が来たんだな。
ひときわ忙しそうに各テーブルを回るメイドを見て思う。
1年前に、みんなが望んだこの光景。
誰も彼もみな、
実際にこの日が来るとは思わなかっただろう。
僕だってそうだし。
きっと、本人だってそうだ。
誰も予想出来ない、夢として描いていた、おとぎ話。
でもそのおとぎ話は、今、秒針の歩みとともに、次々とページがめくれていく。
口元が緩み、自然と一息ついていた。
思い返せばあっという間だったな。
しかしそれも、過去の話。
これから先、何が起こるか分からない。
また、一瞬の風になるのか。
それとも、長い長い冒険になるのか。
どちらになるかは、分からない。
このおとぎ話は執筆中で、作者もまだ若い。
本が雨に濡れるかもしれないし、
ペンのインクがなくなるかもしれない。
ストーリーを淡々と書き続けられることはないだろう。
必ず、どこかで急展開が訪れるはず。
作中でも、現実でも。
その時に、読者である僕たちが、この物語と作者を守らなければいけないのだ。



紅茶が少し冷めてきた。
品も何も気にせず、一気に飲み干す。
外はもう陽が沈んだ頃だろう。
店内も落ち着きを取り戻しつつある。


ねぇ、小説は出来た?

僕は、書くのが遅いんだ。

フフッ。

何がおかしいんだい?

あなた、いつもそう言うもの。


いつ完成するのかしらねと言い残し、
彼女はテーブルのカップを下げてくれた。
確かに目の前の原稿用紙は、何時間も空白のままだ。
でも、この紙には書き切れないほど、物語は壮大で、繊細なのだ。
いつ完成するのかは僕にも分からない。
明日書き終えるかもしれないし。
死ぬまでに書き終わらないかもしれない。
あと何杯の紅茶を冷ましてしまうか見当もつかない。
それでも、僕はこのカフェで、毎日ペンを持つのだ。
季節が移ろぎ、コートの素材が変わっても、ここに座るだろう。
それが僕の今の日課なのだから。
そろそろ時間か。
カバンの中から小包を取り出す。
ちょうど彼女がテーブルに来る。


紅茶おかわりする?

今日、これを渡しに来たんだ。

あら、どうしたの? 

誕生日が近いだろ。

フフッ。

何がおかしいんだい?

どうせあなた、誕生日にも来るじゃない。

分からないだろ。それに、少しでも早く渡しておきたかったんだ。


ありがとうと彼女は微笑む。
他のメイドさんや執事さんも様子をうかがっていたようだ。
みんな、にこやかに近づいて来た。
小包を開けた彼女は、感嘆の声を出す。
桜色の懐中時計を袋から取り出すと、
光にかざし、様々な角度から眺める。


とても綺麗ね。ずっと、欲しかったの。

うん。会うたび欲しいと言ってきたからね。

あら、まるで私がねだったような言い方。

いらないなら、僕が使うけど。

意地悪ね。ほんと、素直じゃない人。


紅茶を淹れてくるわと、彼女は懐中時計を胸にしまう。
お互い様ですよね、と執事は言い、
あの顔とても喜んでますよ、とメイドも言う。
分かってる。
あの、彼女が喜んでる顔は、何度も見てきた。
泣いた顔も、怒った顔も、困った顔も、拗ねた顔も。
いろんな顔を、見てきたんだ。
でも当時は、何もしてあげることが出来なかった。
だから、
だから少しでも、
今の僕が、今のキミを助けるんだ。
そんなのは余計だと言われようとも、
キミが辛い顔をしていたら、
差し伸べる手はいつでも準備している。
男にしては小さい手かもしれないけれど、
ペンしか持てない手だとしても、
それでも、絶対差し出す。



懐かしい香りで目を覚ます。
パソコンの画面は真っ黒だ。
エンターキーを押し、スリープを解く。
真っ黒の画面が、真っ白に変わる。
結局、今年も読み終わることはなかったな。
淹れたての紅茶を一口含み、店内を見渡し体を伸ばす。
まるで、百年くらい別世界で寝ていたようだ。
パソコンをカバンにしまい、スマホを見る。
そろそろ時間か。
会計を済ませ、またねと言って店を出る。
外に出たら、夏の夜の空気が肌にまとわりついた。
また、夏が終わっていくのか。
ふと、夜空を見上げると、
花火よりも明るい顔があった。
桜色の腕時計をつけた手が振られている。
その姿を見て、僕はフフッと笑みがこぼれた。
家に帰ってから物語の続きを読むか。
まだ、完成することのないおとぎ話。
執筆中のおとぎ話。
作者であり、主人公でもあるかわいいキミは、
今日もこの世界で、輝いていた。


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