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AI倫理関連映画紹介(4)

『ゴースト・イン・ザ・シェル』(1995年)(原題:Ghost in the Shell)
監督:押井守
 このアニメ映画では、サイボーグと人間が共存する未来のディストピアな世界が描かれている、本稿とは別に攻殻機動隊シリーズとしてまとめてある作品の一つです。作品内では、AI社会やAI倫理を理解するために纏め学、倫理、社会、技術問題などが、至る所で登場します。AI倫理に興味がある方は是非ご覧ください。
 
『ターミネーター2:ジャッジメント・デイ』(1991年)(原題:Terminator 2:Judgment Day)
監督:ジェームズ・キャメロン
『ターミネーター』の続編。
 
『マトリックス』(1999年)(原題:The Matrix)
監督:ウォシャウスキー姉弟(姉妹:性別適合手術を受けて現在では姉妹となっています)
 仮想現実で人類を支配しているAIと、その現実に目覚めた主人公たちが戦う物語です。殆どリアリティーの感じられない娯楽作品ではあるが、AIが人間を支配するという着眼点に関しては、陳腐な発想とは言え、参考になる人には参考になる可能性は否定できません。
 
『A.I.』(2001年)(原題:A.I. Artificial Intelligence)
監督:スティーヴン・スピルバーグ
 映画A.I.は文字通りAIをテーマとした映画であり、AIの感情や自己意識、AIと人間の関係、AIの命題違反、AIの自己保存欲求といった極めて重要なAI倫理課題が含まれています。公開直後はもとより、これまでに最低でも三度は観ている作品です。それにもかかわらず、筆者がこの映画について解説する気すら起きない理由に寧ろ興味がわき、ここで、何故、映画A.I.に興味が湧かないのかの理由について検証してみました。しかし、検証する気も起きないので、なぜ、筆者にとってこの映画がつまらなく感じられるのかについての分析をGPTに依頼した結果を以下に引用しました。
 
【筆者質問】前の文章の筆者はAI倫理学者です。彼が映画A.I.に興味が湧かない理由としては何が考えられるか、興味が湧かない理由を推測してください。
 
【GPT】AI倫理学者である筆者が映画A.I.に興味が湧かない理由は、新しい議論の不足、現実的な解決策の欠如、不正確な描写、論理的な厳密さの欠如、現実との乖離、エンターテインメント性の重視、人間中心的な視点やドラマチックな表現などが挙げられます。これらの要因が、筆者が映画A.I.に対して興味を持たない理由となっていると考えられます。
 
【筆者】この分析結果により、筆者は映画A.I.は、語り尽くされている陳腐な内容で、何の問題解決策も提示していない、AIの現実問題とはかけ離れているくだらない映画だと感じていることが判明しました。このようにChatGPTは、自分でも気がつかなかった内面までわかってしまうとても便利なツールです。A.I.のことはAIに質問することが、一番の解決策だと分かる、大変意義のある映画と言えます。
 
 なお、この映画ではA.I.がA.I.に対して、解決策を求めるシーンもありますが、エンターテイメント性を無視して、ディテールを観ていくと、意外と奥深い作品である可能性も否定できません。
 
 以上の映画評論に対して、GPT-3.5とGPT-4にそれぞれ同条件で『AI倫理学者が一般読者向けに書いている以下の映画評論に関して、あなたはどう評価しますか?』に対するそれぞれの評価が更に興味深いです。
 
【GPT-3.5】この映画評論は、AI倫理学者の視点から映画A.I.がどのようにAI倫理課題を扱っているかを分析する上で興味深い視点を提供していると感じます。また、GPTを利用することで、自分自身が気づいていなかった内面にも気づけるという利点を示しています。但し、個人的な見解として、この映画に対して批判的になるよりも、映画の中で扱われたAI倫理課題をどのように考えるべきかに焦点を当てた方が、より建設的だと感じます。
 
【GPT-4】私は、この映画評論を興味深く、独自の視点を持っていると評価します。AI倫理学者である筆者は、映画A.I.に対する自身の興味喪失を、GPTを用いて分析し、その原因を明らかにしようとしています。このアプローチは、自己分析や映画評論に新たな視点を提供し、読者にとっても魅力的だと感じます。
 
筆者は、映画A.I.がAIの現実問題とかけ離れていると感じているものの、GPTの分析結果を通じて、自分でも気づかなかった内面を理解できたと述べています。これは、AI技術が自己分析や問題解決に役立つことを示しており、評論の中でAIの利点を示唆していると言えます。
 
また、筆者は最後に映画A.I.の奥深さを否定できない可能性に言及し、エンターテイメント性とディテールに目を向けることで映画の価値を見出せると提案しています。この点において、筆者は映画に対して公平な評価を与えており、読者に対しても異なる視点から映画を観ることを勧めていると感じます。
 
総じて、この映画評論は、独自の視点と分析を通じて読者の興味を引きつけるものであり、映画に対する新たな評価方法を提案していると評価できます。
 
【筆者のGPT-3.5とGPT-4に対する感想】GPT-3.5は『映画の中で扱われたAI倫理課題をどのように考えるべきかに焦点を当てた方が、より建設的です』と指摘しています。確かにその通りです。しかし、筆者は逆にAI倫理課題に対して、恣意的に焦点を当てないことにより、読者自らがこの映画からどのようなAI倫理課題を導くかに重点を置いているのです。哲学や倫理は誰かの意見を鵜呑みにするのではなく、自ら課題を発見して、その答えに対して自ら答えを導くことが重要だと考えて、この映画解説を試みたのです。
 
 一方でGPT-4の回答は著者の意図をより的確に把握しているように思えますが、これほど的確に纏められると、評論文を改善する余地がないほどの回答です。評論文を改善する余地が知りたい場合は、GPTに対して『この映画評論で改善すべき点はどこですか?』と質問することで有意義な回答が得られます。
 
【GPT-4】この映画評論で改善すべき点は以下の通りです。
映画の具体的なシーンや登場人物に触れることで、読者が映画の内容をより理解しやすくする。
1. AI倫理課題について、映画がどのように扱っているか、具体例を挙げて説明することで、議論の深さを増す。
2. 評論の構成を明確にし、筆者の意見とGPTの分析結果をより整理して提示することで、読みやすさを向上させる。
3. 映画A.I.に対する他の評論や意見を取り入れ、更に幅広い視点から映画を分析することで、評論の充実度を高める。
4. 筆者自身の専門知識や経験をもっと活用し、映画と現実のAI倫理課題との関連性について独自の見解を提供する。
 
これらの改善点を取り入れることで、映画評論の質を向上させ、読者にとってより有益な情報を提供することができます。

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