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華僑と印僑があるのに、なぜ、和僑はないのか? (2)

 Kusamakuraさんから頂いた洞察力のあるコメントに基づいて、この記事の続きを書きます。

コメント:『日僑のこと、僕も昔から気になっていました。そのポテンシャルはあるのに、世界を跨ぐ大きな勢力にはならないんですよね。』

回答:日本人が日本国内で『東京和僑会』と名乗るのは不自然ですし、Wikipediaでの華僑や華人に関する説明も不正確です。厳密な定義はないものの『和僑』について解説する前には、少なくとも『 #落葉帰根 』と『 #落地生根 』の概念を理解すべきです。

#華僑 の概念を理解する上で、ビジネスネットワークを超えた『落葉帰根』と『落地生根』の重要性を理解することが不可欠です。前者は海外で成功した後に祖国に帰ることを意味し、後者は移住地での生活に根ざすことを意味します。

 パラグアイで『日経ジャーナル』を発行していた高倉道男さんも、和僑の概念について語っており、海外に住む日本人を代表して参院選に立候補しましたが、落選しました。彼の主張は、在外選挙区の設立と在外選挙権の充実を目指すものでした。

コメント:『僕は欧州に大分長くいましたが、日本人はすぐにかたまって集団作る傾向があって、同化しやすいとは思えない気もします。』

回答:私は世界中どこへ行っても、常に日本人との交流を避け、現地の人々とのみビジネスを展開してきました。然しながら、ご指摘の通り一般的な日本人は、欧州諸国だけでなく世界中どこに行っても、すぐに集団を形成する傾向があります。これは、プログラミング初心者が『 #プログラム初心者と繋がりたい 』とハッシュタグをつけて、同じ初心者同士で繋がりたがる現象に似ています。海外で事業を成功させるには、海外進出数年目の素人ではなく、現地の文化を深く理解している現地人であり、目的とする分野の専門家をビジネスパートナー、取締役、あるいは従業員として選ぶべきです。

 前回の記事で述べた『日本人移民は特に北米や欧州諸国で比較的早期に社会に同化する傾向がある』という点について、イスラム教の国々で生活している華僑や、インドや中国で生活しているイスラム教徒などと比較すると、日本人の海外生活への適応の容易さが明らかになります。華僑は海外生活においても中国の旧正月や中華料理への強い拘りを持ち続け、非イスラム圏に移住した #イスラム 教徒も #ラマダン #ハラール 食を厳守します。

 しかし、海外に移住した日本人が、日本の正月に合わせて三が日まで休むと主張したり、朝食は炊き立てのご飯とカツオと昆布の出汁を使った合わせ味噌で、具は豆腐、ワカメ、葱じゃないと味噌汁とは言えないとか、朝食には味噌汁以外にも、梅干し、沢庵、納豆、鮭の塩焼き、海苔などが必須だと主張することは極めて稀です。

 ロサンゼルスのように日系人が多い地域では、日系スーパーが充実していて、日本食材のほとんどが入手可能ですが、他の地域では現地の食材を利用することが一般的です。海外の食事や生活習慣に馴染めない人は、海外生活に適さないというのが、日本人の一般的な考え方です。つまり、日本食レストランの海外展開のようなケース以外では、海外での生活に同化できないのであれば、日本に帰国すべきと言う結論になります。

 おおかみさんからは、『日僑はないけど、⚪︎⚪︎日本人会みたいなのはありますね。でも財力とか弱そう。』というコメントをいただきました。日僑(日侨)という呼称は中国語で、日本人海外移住者( #日系人 )一世、二世、三世、四世のような日系人のことを日僑と呼んでいます。

 この『何世代目か』という概念は、日本人の #海外コミュニティ の特性を理解するうえで重要です。日本からの本格的な海外移住が始まった時期は国によって異なりますが、1639年から1854年までの鎖国期間を経て、1897年にメキシコへ渡った35人の『榎本移民』が日本人の組織的な海外移住の始まりとされています。その後、特に多くの日本人移民やその子孫が住むのはブラジル(南米)、アメリカ(北米)、カナダ(北米)、ペルー(南米)の順で、パラグアイ(南米)などに移住した人々もいます。最近では、四世や五世が混在するような状況です。このように、海外で子孫を残し続ける概念は、華僑の『落地生根』に類似しています。

 三世以降の人々は移住先の現地人と結婚し、ハーフやクォーターとなっていることもあります。日系人と認識される範囲はアイデンティティの問題も絡み微妙ですが、世界には現在、約350万人の日系人がおり、その数の多さから日本語学校や日本人学校が運営されています。

 ロサンゼルスには #リトル東京 という日本人コミュニティがあり、1990年代初頭のバブル崩壊までは、スーパーや土産物店、レストランなどは日系人や日系資本によって運営されていました。しかし、バブル崩壊後はリトル東京の多くの店舗が韓国系資本に変わりました。

 話が逸れましたが、農業や貿易に携わる日系人の中には大きな成功を収めている人も多いです。しかし、彼らは自分たちが移民して数世代にわたって苦労して開拓してきた土地や事業を、近年になって進出してきた日本人に気軽に売ることは稀です。例えば、リトル東京で一世紀にわたって和食を提供してきた食堂にとって、最近進出してきた日本食のフランチャイズは競争相手に過ぎません。

 リトル東京の変貌は、コミュニティ内の一店舗が後継者不在のために在米韓国人に高値で売却されたことが原因の一つです。その後、その店舗を中心にキムチや韓国製品の販売が始まり、 #リトル・トーキョー は徐々に『リトル・ソウル』と化し、周辺の店舗の日本ブランドが失われました。結果として、多くのリトル東京の店舗オーナーが、数世代にわたって継承された店舗を手放し、ガーディナやトーランスに移住して新たな日系コミュニティを形成しました。

 多くの日本人が海外で犯す一般的な誤りは、日本語が話せるというだけで出会った日本人に頼ったり信用してしまうことです。この行動がどれほど危険かは、日本国内での経験から容易に理解できます。例えば、日本の企業では経営陣や従業員が日本語を話し、身元調査を経ており、同じ会社に所属しているため、理論上全員が信頼できるはずです。しかし、実際には、同じ職場内でも他人を陥れる者や信用できない者が存在します。この現実を考えれば、海外で出会った日本人や日系人を、その理由だけで信用するのは無謀であることが分かります。

 華僑、印僑、その他のディアスポラコミュニティやネットワークは、信用できない初対面の人物に対する信用調査の役割を果たします。私が世界中で信用されている最大の理由は、北米、ASEAN諸国、中国、インド、中東、アフリカ各国のさまざまな人種のディアスポラネットワークにおいて、良好な評判を得ているからです。

 私が活用している国際的なネットワークには、人種や武術の種類に関わらず交流がある武術家のネットワークが含まれます。これは武術家に限らず、芸術家、奇術師、音楽家、建築家、コンピュータプログラマーといった幅広いジャンルに共通しています。どの分野においても、日本語ではなく英語で情報を発信し、国際的な実績を持っていれば、その技術と信用は世界中で通用します。私自身、現在も英語で国際学術論文の執筆を頻繁に行っていますが、論文内容が過去数十年間一貫していることも、信頼獲得のために非常に重要な要素です。

#武智倫太郎

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