見出し画像

後悔について。

「こういうことを後悔している」という話を人からよく聞く。

それは人生におけるふとした瞬間だったり、とても大切な瞬間だったりするわけだ。

どうしてあの時振り返らなかったのだろう?

どうしてあの時話を聞いてやれなかったのだろう?

どうしてあの時こんな酷いことをしてしまったのだろう?

後悔をするということは

記憶を辿るということだろう。

それは心とかいう深い水溜りに潜航することだ。

深く潜るために鉛の重りを身体中の至る所に釘で打ち付けて

大きな大きな酸素ボンベを背負って

パニックになってしまわないように潜り続けることだろう。

溺死してしまわないように。

水深に発狂してしまわないように。

【入水(0m)】

底の底の底の底の底はまだ見えない。

太陽光が水に屈折させられてキラキラと光っている。

こんな感覚はもう捨ててしまおう。

もっと深く。

【水深56m】

途中、意識が遠のく

どうやら酸素中毒に陥ってしまったようだ。

あなたは間違わないで。

【水深100m】

途中、ブリキ製のボンベが圧力で自壊してしまいそうな具合にベキベキと声を上げる。

僕はここで死ぬのだろうか?

いや、まだ行こう。

【水深150m】

何もなかった人生というわけではなかった。

人からの排他があった。

確かにあった。

でも本当の被害者はあなた方だったことをこの時点で認識する。

【水深300m】

潜る途中で僕たちに襲いかかる巨大な口の異形の深海生物に捕食されそうになる。

きっとそれが「あの日の後悔」や「他者から向けられた憎悪」だったりするのだろう。

食べられてしまっては心が折れてしまう。

上手く躱して潜り続けよう。

【水深600m】

これ以上は潜航することはできないだろう。

ひとたびそれが圧壊してしまえば僕たちにはなす術もなく死んでしまうだろう。

息をすることすらもままならないだろう。

しかし潜ろう。

【水深800m】

潜り続けよう。

僕にはそれしか選択肢が残されていない。

同じ過ちを繰り返さない為に。

【水深1000m】

考えよう。

同じことで他者を侵害してしまわないように。

自分の愚かさを知る為に。

過ぎた昨日はもうやってこない。

【水深10000m】

吐いた唾を飲み込ませてくれる人の心が元に戻る事はもうない。

傷は癒えないのだ。

【水深15000m】

我々は罪を背負って生きていこう。

今後こんな過ちがあってはならない。

今後一度足りとも間違ってはいけない。

人と関わるということは綱渡りだ。

【水深20000m】

僕はなんて最低な人間なのだろう。

自分の生きやすさという太過ぎる縄で何人の優しい顔をした人間の首を吊ってきたのだろう。

もう気がついているはずだ。

本当のことに。

あの日あなた方の瞳の奥に憎悪の翳りを見てしまったことに。

【深度不明】

突然目の前が明るくなる。

ここは底の底の筈だ。

明順応に耐えられず目を瞑る。

これ以上は何も見たくはない。

ゴーグルを外して目を抉ろうとさえ思った。

その時、徐々に目が慣れてくる。

皆の笑っている姿が眼前に揃う。

もうやめてくれ、頼む。

その時に気がついた。

あなた方と過ごしたあの日々を思い出した。

辛い思い出の一番深いところに在るものはきっと

死にたくなるほどに素敵な日々だったのかもしれない。

全ては語りません。

僕にはもうあまりここにいる時間が残されていないのだから。

ただ一言だけ

「あなた方を僕は確かに愛していました。」

独り言みたいに呟いたその言葉は

吐いてすぐ泡になって消えてしまった。

それからはとてもあっさりしたものだった。

ゆっくり時間をかけて浮上する。

【水面】

機材は全て壊れ、その役目を終えていた。

揺れる水面で背負った酸素ボンベを外すと

それはもう小さくひしゃげたペットボトルのように成り果てていた。

「お疲れ様。」とだけ声をかける。

鉛の重しを支えている釘を身体から抜く。

全ての傷口が腐っていた。

不思議と痛みは感じない。

心を含めた全ての臓器がとても痛む。

辺りを見渡すと潜航前と風景が少しだけ違う。

地上にいた知らない顔の人たちが僕に親しみを込めた視線を送っていた。

でもよく見ると違った。

知らない人たちではなかった。

皆大人になっていたのだ。

その人たちから伸ばされた手を握り

僕は地上に引き上げられる。

潜る前から数えて6年ほど経過していた。

僕は現在30歳になっていた。

僕はもう若くはない。

後悔はきっと消えてなんかくれない。

許してもくれない。

でも和解することはできるだろう。

他者への侵害行為を繰り返さないように生きるしかない。

記憶さん、あなた方のことは忘れません。

後悔さん、是非僕と仲直りをしてください。

無意味で果てのない潜航を続けて僕はようやくそう思えた。

やっていこう。

たぶん答えはもっとシンプルだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?