#002 3.11とマイノリティとマジョリティ

3月11日は東日本大震災があった日。
当時、僕は横浜の普通の大学生だった。
ちなみに僕は岩手県で生まれ育ち、家族や友達は岩手に多くいる。
だから、震災が起きたときも、こうして震災から8年たった今も、「被災地生まれ・被災地育ち・被災地の人と繋がり多い」属性の人として、よく意見を求められたり質問されたりする。

なので、少し思ったことを書いてみようかなと。

被災者・被災地に僕がどこまで共感できるか。

これに答えるとすれば、「ほとんどできない」が正直な気持ちだと思う。

僕の実家は、岩手の盛岡市で内陸だし、友達もほとんど内陸部に住んでいる。震災が起きてすぐ、TVを見て焦った僕は親父に電話をしたけど、実家の被害は皿が2枚割れたのと、停電で親父の趣味だった熱帯魚が全滅したくらいだった。

もちろん仕事の都合で津波が来た沿岸部に行っていた友達もいたが、幸いなことに無事だった。

そんな僕の、被災者に共感できる範囲(自分ごと化できる範囲)は「被災地出身」、「被災地に家族や友達がいる」ということを除いては、ほとんど被災していない人と同じだ。

「分からない」がマジョリティで、「分かる」がマイノリティ

だけど、「被災地出身」、「被災地に家族や友達がいる」という属性は、「被災者の気持ちに共感できるんだろうな」と多くの人が僕を判断するには十分な理由らしい。

でも、日本に本当に被災者の気持ちが「分かる」人はどれくらいいるんだろうか。僕はどんなに頑張っても今の日本では「分からない」がマジョリティ(多数派)で、「分かる」がマイノリティ(少数派)なんだと思っている。

僕は、このマジョリティ/マイノリティという軸は物事を考える際に捉えるべき大切な視点だと思う。

自分は普通じゃないと思うことの大切さ

何かについて考えるとき、その物事や事象のことが本当の意味で「分からない」、「共感できない」ということは決して恥じることでも悲観すべきことでもないんじゃないだろうか。

例えば、僕は人事コンサルとして企業の採用や教育なんかの戦略を定めたり、実際に研修を行ったりしているけど、お話する人事の方々や現場の偉い人たちは自分たちの考えがマジョリティ(多数派)だと思っていたりする。

だから、新入社員や若手の成長が自分の中で遅いと感じたり、成果が出せなかったりしているのを見ると、「あいつは当事者意識が低い」とか、「あいつは積極性が足りない」とか言い出す。

ちなみに、そういう人は大抵「できる人」もしくは「できていた人」だ。
でも、世界はそんな人ばかりで構成されていない。たぶん若手のうちから当事者意識も積極性も、リーダーシップも論理性etcも備わっていて、バリバリ成果が出せるあなたは、世の中でマイノリティ(少数派)だ。

でもいつの間にか、自分のような人こそ世の中のマジョリティ(多数派)だと勘違いしていく。恐らく自分だって誰かに育ててもらい、助けられ、支えられて今があるはずなのに、それすらいつの間にか忘れていく。(もしかしたら、誰の手も借りず、劣悪な環境に置かれても頑張って成果が出せた人もいるのかもしれないけど、それは一握りの天才ではないか)

どうだろう。自分がマジョリティ(多数派)orマイノリティ(少数派)なのかを捉え間違えた上記の例の人たちが若手を教育できるだろうか、良い研修を考えつくることができるだろうか。

被災者の気持ちは「分からない」のがマジョリティだとしてみる

震災から今日で8年。今も日本では被災者の気持ちを「分かるようになる」、「共感できるようになる」ための努力をしているように感じたりする。(別にそれ自体が悪いなんてことは1ミリもない。)

でも、8年という時間を費やしても本当に被災者の気持ちが本当に「分かる」、「共感できる」人は未だマイノリティ(少数派)なんじゃないか。8年前から被災者の置かれている環境も変化している。実際に被災し、変わり果てた環境で8年という時間を全て自分のこととして捉え、経験してきた当事者と僕らにはきっと大きな壁がある。

震災が僕に教えてくれたこと

端的に言えば、どんなに心を向けても、知識量や仮説の量を増やしても「分からない」・「共感できない」ことがあるんだと震災は僕に教えてくれた。

きっと僕らは、何でも誰のことでも「分かってあげられる」、「共感できる」完璧な心と脳は持っていない。でも、「分からない」からできることもあるような気がする。恐らく日本にいる「分からない」マジョリティ(多数派)の人たちを動かせるのは、同じ「分からない人」なんじゃないかと。

そんなこんなで、タラタラと書いたけど結局「分からない僕」が復興支援のために出来たことと言えば、「分かってる人」を演じて、震災直後にバイトで稼いだ給料から2万円ばかりを募金したくらいだ。

たぶんそれは、微々たる力で、なんならほぼ無力に等しいのだと思う。
でも、あれから8年たって29歳になった今、「分からない」を受け止めた僕はコンサルタント・プランナーとしてマジョリティを動かす企画が創れるかもしれない。

広告代理店にいた時も、DBマーケティング会社にいた時も、起業した今も、きっと僕の多数派を動かす力(動かせるんじゃないかという淡い期待)は、ほとんどが自社のサービスやクライアントの事業を盛り上げるために使われるんだと思うけど、いつかどこかで、その盛り上がりが巡り巡って、学生時代の募金額2万円を少しでも超える価値を被災地に届けられればいいなと。


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