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なぜ私は息子を連れ、夫と離れ、親子島留学に行くのか

海士町に行く日まで、残り2ヶ月となりました。
今は、何を持っていき、何は置いていくのかを整理している最中です。
1年経ったら戻ってくる準備というのは、思いの外難しいもの…です。
実家を離れ大学に行く感覚とも違うのかな。

1年って、それぞれの季節をたった一回しか通らず、また、一回は必ず通るとも言え、何が必要なのか整理がつかないのです。
よくわからないなら、ひとまず悩んだものは全部持っていっちゃえ〜なのだけど、自分は何を大事に思い、何はそれほど必要としていないかわかるんじゃないかと、悶々と考えています。

私はなぜここを離れるのか

昔から旅が好きで、ふと思い立ちどこかに向かうことがあります。
一週間のバックパックもあれば、日帰りの遠出もあって、隣の町を散歩なんてこともあります。どれも自分にとっては旅扱い。
気持ちのリフレッシュや観光でのときめきは、自分にとってあくまで結果。それを求めて旅に出るわけではないのです。

知らない土地や通りの景色、行き交う人、隣のテーブルに座ったおじさんたちの会話、肌に感じる冷たさや独特の匂い、そういった体験から垣間見る自分を求めて、ふらふらと出てていきます。

ここからの風景が好きだ。夏もいいけど冬はもっと落ち着くんじゃないか。この公園は雲がよく見えて毎日でも来れそうだ。この商店街の寂しさはこうすれば変わるんじゃないか。このおじさんたちといっぱい酌み交わしたい。もうここにはこないだろうな…。

いつもの場所、いつもの人との関係では出てこない感情や感覚、想いが、次から次へと湧き出てきて、私って実はこうだったんだ。こういう時にはそう思うのか。と、私を知るきっかけが生まれます。

過去を振り返るより、未来はどうなるか、どうなりたいか。
意識がそこにむく私にとって、今の自分をより知ることは、今をどう生きるかを考える上でとても大切にしていることです。

関東に来て、もう20年が過ぎてしまいました。
仕事に目一杯だった最初の10年、子育てと仕事の両立に四苦八苦のこの10年。都度旅に出ても、ほんのワンショットの自分を知る機会では、追いつかないくらい、求められる変化の方が大きかった。
今どう生きるかなんて考えていない時間の方が長く、行き当たりばったりでここまで来てしまった感覚もあります。
母であり、妻であり、仕事ではそれぞれ役を持ち、私は何者なんだろうね。と、よくわからなくなっているところもあります。

自分を変えるには、環境と交友関係を変えろと耳にしますが、
自分を変えるの前に、環境と交友関係が変われば、気づいていない自分を知ることができます。
旅と同じ。見える世界が変わるから。
自分が変わるのか変わらないのかは、その先のものだよなと思うし、それはケーキが美味しく焼けるかと同じように、ワクワクして待っていればいいものだとも思うのです。

こことは大きく違う環境のなかで、今までとは異なる人たちとの関わりを通し、知らない自分に出会いにいく。
何を大事に思っているのかを知りに、大袈裟にいうと、自分を取り戻しに行くためにここを離れるわけです。
##あ、これが自分探しというものなのか。笑

視座が広がると、単純に楽しくなるしね。
高く、遠くからあれこれ眺めて、あーやこうや思いつつ、わからないことは本などから知識として吸収し、そしてまた行ったことないところに行ったり、やったことないことをしてみたり、そういうサイクルが大好物な好奇心つきぬ人でもあるしね。

さて、どんな自分に出会えるか楽しみ!

私はなぜ夫を残していくのか

親子留学をしたいと伝えた時、「いいんじゃない」と夫はずいぶんあっさり肯定してくれました。これは意外な反応で…。やっぱり夫婦って違う人間だなと改めて思ったものです。思いの他、知らない…。

自分を知ることには貪欲なのに、人のことはそれほど知りたいと思わない私。だってどうせよくわからないし、知ったところでその人にはなれない。むしろ、違った解釈する方が怖いかなと。
必要以上に干渉しないし、基本的に夫が自分で良いと思って行動することには賛同します。そこは知る知らないより、信用してるか否かだけだね。

## 最近、あれこれとよく買い物をしてるので、それについては正直異論ありです。お財布一つだし。
## 親が多干渉だったから、干渉してもいいことないと思っているとこもある。

一方、夫は、私のことをなんでも知ろうとします。私が話さないものなら、根掘り葉掘り聞いてきます。いやぁ、知って然りと思っているように思えます。今日一日何してたか知らなくても別にええやないのと。

夜は家族でご飯を食べ、週末は家族で過ごし、お互いのことをよく話しが当たり前のような人。
それはそれで、素晴らしいことだけど、個より先に家族ありきなのか?
自分を中心とした家族に、私と息子が含まれているのか?そういった感覚は時折降ってきて。重いなぁと思ったりします笑
諭吉先生も、「一身独立して一国独立す」って言ってたっけ。
個があっての家族。お互い全部知る必要はないと私は思っています。

別の人間だから、違って当然なんだけど、今の家族の体が物理的に変わることを機に、夫にも個が先にくる体験してもらえたらと思っています。
せっかくだから、自分の身の回りのことできるようになっとこうよー。
の二つが夫を残していく理由になるかな。
 ##ちなみに、一緒に行こう。と誘ったものの。俺はいい。と断れちゃいました。会社あるもんね。

家族、夫婦としてあるために、一緒に生活することが絶対である時期はすでに通り越した感があります。それは付き合いの長さだけでなく、二人で通ってきたあらゆる出来事が、二人をその先に進めたのだけど、息子にとってどうなのか、こればかりは過ぎてからでしか言えないことかもね。

来れるときはいつでもきてもらって、来れないときは、むしろ、羽伸ばしてひとりを満喫しておくれ!

私はなぜ息子を連れていくのか

息子は、生まれてこの方、この地域以外で暮らしことがありません。
今住んでいる地域は、子育て世代の多いベットタウン。朝は大量の人が都内に出ていき、商業施設で働く人が大量に流入してくる街。
徒歩30分件内に小学校が5つあり、映画館は歩いて5分。一通りのチェーン店が揃っていて、電車に乗らずとも不便のない生活が送れる場所。
子供が乳幼児の時は、私も本当にこの街に助けられ、便利な街だなって街に感謝すらしてます。

でも私自身は、生まれてからずっとこの街に住んでいるわけではなく、他の街も知ってます。
この街の便利さの感じ方は息子とあまり変わらないかもしれないけど、ここは変わって欲しい、これはあの街の方が好き。って思いは息子にはないようです。そりゃ基準がないからね。

息子には、この街は絶対的で唯一無二。
ここでの生活が長くなればなるほど他を受け入れる。他を求める気持ちが薄くなってきていると感じていました。
絶対評価でいいじゃない。それも十分な選択基準になるよ。とほんの少し思いもするけど、甘いものばかり食べていると舌が甘さを感じにくくなるのと同じで、鈍化していってる。何も考えなくなってきていることに親として危機感を覚えていました。
街だけでなく、友達関係や彼を取り巻く慣れ親しんだもの全てについても同じ。
自分の世界を広げて大人になっていく。何も考えないって、未来に向かって生きていないってことだからね。

私の子育ては、
親がいなくても楽しく生きていける子と
子が巣立っても楽しく生きていける親をもってコンプリートです。

そのために必要なことをするのが母としての私のお役目。

やりたいと言ってきたものは、お金や時間含め諸条件がクリアーできれば基本なんでもさせます。
でも、やりたくないと言っていたり、否定的な感情を持っている場合は、親が真剣に考え判断する必要があると思うのです。子供の意が通らないこともしばしばです。
息子は、海士町にいくことにとても抵抗感がありました。不安でたまらなかったのです。そりゃそうだよなと思います。
でも、今の彼にとって、海士町にいく機会は、願ってもない世界を広げるきっかけになると思っています。だから、連れていくことにしました。
最初は不便さに慣れず辛い思いをするのだろうけど、助けてくれる人は必ずいるし、人はそうそうくたびれない。
こんなこともあんなこともできるんだーって、一つでも自信に繋がる経験ができればと思っています。

親も子供も、これから何をするか、これからどう生きていくかがより大事。
あっという間の1年間だったと振り返られるよう大事に生活したいと思います。

## そして…息子10歳。心は離さずとも手も目も離すタイミングはそこまできています。子供との時間を目一杯楽しむ時間にもしたいな。


終いに:
息子が昨日、3月までに、こことあそことどこそこ…and moreに行きたい。と言ってきました。サイゼリアと牛角と丸亀製麺、すみだ水族館も入っていた笑
誰だって慣れない土地にいくのは不安なもの。大人はその不安をほんの少し隠せる程度の力量があるだけで、不安に大人も子供も関係なし。
不安な気持ちがありながら、行くことを受けとめている様子の息子は、行くかどうか悩んでいた数ヶ月前より大きくたくましくなっています。
親子で豊かな気持ちで帰って来れますように。


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