【父の手を求めて②】 ―水中ボディワークと失われたピースの自覚―
(前回の話)
水中ボディワーク(アクアティックボディワーク)は、セラピスト(施術者)とクライアントがペアになって行う。
温水プールの温かい水の中で、入った瞬間に身体がリラックスして全身が緩んでいく。
さらにプールは海水と同じ塩分濃度にしてあり、ミネラルがそのまま皮膚から吸収される。
その温かい水の中で、セラピストが軽くクライアントの身体を支え、クライアントは身体が浮き、
水中で深く瞑想するような状態になるのだ。
この水中ボディワークとの出会いは衝撃的だった。
水中でしっかりとペアの相手に頭を支えてもらい、水中を浮遊する感覚。
耳も水中に入るため、音も通常私たちが空気中で聞く音とは変化し、異界に入ったようで、胎児に戻った記憶が蘇る。
その温かな水の中で、一切合切自分の筋力を何も使わず、ただ存在していられるというのは、実際に羊水の中にいる状態と近似しているのだ。
私の先生はアメリカ人の男性で、私はその人の個人セッションを受けて、衝撃を受けた。
大きな、大人の男性の温かい手で、優しく、しっかりと頭を支えてもらったが最後、
自分の力で自分の身体を支える必要が、もうどこにもない。
すべてを委ねていい。丸投げしていい。
赤子に戻って、父親の大きな腕の中に、抱きかかえられているようだった。
毎回、先生のセッションで水中で浮遊する直前、頭を支えてもらったその時点で、既に涙が込み上げてきた。
最初にセッションをしてもらった直後などは、号泣して涙が止まらなかった。
男の人の、大きな手で頭と肩をしっかり支えてもらうということ、これは自分がずっと切望していたものだと、身体が言った。
そんな安心と信頼は、今までに体験したことがなかった。
体験したことがなかったものだから、そんな極上の安心を、体験できたことの喜び、と、それを失いたくないという気持ちが溢れに溢れてきた。
セッションが終わってしまうことが、悲しくて仕方なかった。
そして、受けた後で、なぜこれを私は今まで受けてこれなかったのか、と激しく悔しさも湧いてきた。
私の身体の記憶の中で、決定的に欠けていたものだった。
父親の(男性の)温かく大きな手で、ただしっかりと支えてもらうということが。
水中で赤子に戻ることをゆるせた私の身体の細胞が、
「これが求めていたものだった」と、感極まって喜んでいた。
女性のやわらかな優しい手でできることと、男性の大きな、頼もしい、何からも守ってくれるような温かい手にしかできないことがある。
赤ん坊の頃、幼少期、こうして、この手で、抱かれたかったのだ。
「抱かれなかった」というミッシングピースが、私の細胞に刻まれていた。
当時の自分の父親を思うと、
恐らく、本人も、小さな娘を抱っこしてやれれば嬉しかっただろうに、それがしたくでもできなかったのだろうと思う。
気恥ずかしさか、自分ではうまくあやしてやれないと思ったか、
泣かせてしまったりして、自分にはうまく出来ないと自信をなくしたか。
でもそれも、別に、本人のせいではなかった。ただ不器用な人だった。
そして、3人目の娘として生まれた、赤子のときの自分自身を思った。
赤子のとき、「そのときに」受け取りたかった、お父さんという存在の優しさがあった。
欲しかったのは、恐さではない。
優しいお父さんの、安心する手の感触と、温かさ、信頼できるもの。
それが、ずっと欲しかったのだろうと。
からだの中で、それが与えられておらず、欠如した感覚だった。
父親に感謝した。
わたしが、求めるものを、彼の不器用さから、与えてもらわなかったこと。
それによって、
「絶対この感触に出逢いたい」
「私は、お父さんの大きな手で支えられることが、欲しい」 という 「ない」、の感覚が
幼児期の私の体内のどこかに、記録されたこと。
そして、人生が進む中でどこかでそれに近似するものに出逢えたときに、
「あぁ、求めていたものはこれだったんだ」と、最高潮の喜びを感じられたことを。
感極まって泣けてくることを。
一気に、切れていた神経回路がつながって、知らなかった電気信号が流れ出し、スパークする体験。
それを経験したかったのだろう。
経験したことがなくても、多分生まれてくる前だかに、知っていたような懐かしさもあったのだと思う。
大きな父なる存在に、いつも抱きかかえられ、安心して、ゆりかごの中で眠っていた自分を。
その肌感覚を。
私はすぐさまそのボディワークの先生に恋に落ちた。
クライアントがセラピストを好きになることはよくあること。
一時的な憧れだったその感情は、1か月ほどで、風が窓から家の中を通り過ぎるように、すぐ収まった。
けれど、この短い間に起こった恋愛感情で、明白になったことがある。
父親から「与えてもらわなかったもの」。
それが、私が男性に対して求めるものとして私を駆り立て、必要な出逢いへと誘っていくギフトになった、ということだった。
(続き)
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