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2023.11.08.wed. よその庭先の洋種山牛蒡

通勤路、コートはまだいらないけれど、ニットに頼り始める時期、会社まで あと少しというところにあるお家のお庭から洋種山牛蒡の実が垂れて季節を感じる。毎年、そこにあることを忘れてるのに実が垂れ始めると、嗚呼、今年も秋が来たのかと思う。
数日前まで山葡萄だと勘違いしていた。こちらは有毒らしい。

1年に4回ほど節目と感じるポイントがある。1月の年初め、7月の会社の一期が始まる日、8月の東京に越してきた日、10月の誕生日。その日の前から何かしら調整したり、あれから何年か…なんて過去に思いを寄せたり、未来を考えたりする。
1〜6月の間はぼんやりと過ごしているのに、年の後半になり始めると、節目が続くのでよく振り返るし、これからを考える。たいてい日記をつけたくなるのは誕生日すぎて1ヶ月の11月頭あたりで、その度にどこかに残したいなと思う。昨年は11/1-2にnoteを残していた。

毎日、同じような日々を過ごしている。その日々の変わらなさに先月何があったかとなると、輪郭も曖昧になる。
先日、ヘアサロンで髪を切ってもらいながら、今年観た展示を聞かれた。美術館が好きで割と観に行くからだ。直近と年始の記憶はあったけれど、その他の記憶が出てこなくて、あれ?と思う。私の記憶力は本当に薄くて脆い。
今日、その、あれ?を思い出した。今年2回しか美術館に行っていない?否、そんなことないよね?と、記憶を取り戻すように、チケット、チラシや出品リストを残しているファイルに手を伸ばす。4つの展示の記憶が飛んでいた。どれも、観に行って心動かされたのになと自分に驚愕する。その時に観て好きだったもの、考えたことがじんわりと思い起こせてくる。

ただお家に帰ってファイルに入れただけだけれど、振り返られるものがあった時、断片でも、思い起こせるものがある。
美術館の記憶はどれもポジティブでそれだけで幸せな気持ちになる。人の記憶は持ち続けられないようになっているともいうけれど、留めておきたい記憶のハイライトはきちんとその時の言葉で残すべきと、今までだって反芻してきたことを再認識する。

洋種山牛蒡が実をつけた時、茎の曲線や色、実の照りがとても絵になるから、毎年写真に撮るのを迷いつつ、足早に通りすぎて、そのままシーズンを終えていた。今年は写真を残した。来年にはまた、そこにあったことを忘れているかもしれないけれど、きっと、その艶のある実をみたら、このnoteの記憶を辿れると思う。

日々の記録がゆるやかに蓄積していき、ささやかなことでも、柔らかな記憶を手繰り寄せることのできるように綴りたい。

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