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【小説】胡蝶の舞姫3.

【3.弘前の桜】

 先の大戦で空襲の被害を免れた弘前の街は戦前の風景がそのまま残る。弘前城のお膝元、弘前公園の桜並木は空気を薄紅に染め、人々の目を楽しませてくれていた。

「松平君って、無理に男の子を演じてるみたい」
「え」

 中学一年生になったばかりの頃、写生会で訪れた春の弘前公園での出来事だった。背後から掛けられた言葉に銀平は飛び上がらんばかりに驚いた。

 不意の事だったから、というのもあるが、自らの真理のど真ん中をあまりにも真っ直ぐに、豪速球で貫かれたからだった。まだ、自らも曖昧に中途半端に境を彷徨っている状態だったのだ。

 僕の秘密を言い当てたのは、誰?

 振り向くと、顔の半分くらいを長くした前髪で隠す、小柄な女の子が立っていた。

 確か、同じクラスの。

「宗方(むなかた)恵美子さん、だよね?」

 彼女は頷いた。

 宗方恵美子は、クラスの中で、いるかいないか分からないくらい、いつも隅っこで小さくなっているような子だった。

 絵を描く場所は、各々気に入った場所で良い事になっていた。

 あまり知られていないが、満開の桜をいい角度で眺められる場所があり、一人になれそうだから、とやって来た銀平だったが、同じ事を考えていた者がいた。

 それも、いきなり自分の深層心理を言い当てるような言葉を掛けてくるような突拍子も無い同級生。

「どうして、そう思ったの」

 銀平に聞かれた恵美子が恥ずかしそうに笑った時、ふわっと吹き抜けた風が顔を隠していた前髪を持ち上げた。銀平は「あ」と声を上げ、恵美子は慌てて前髪を押さえて顔を隠した。

「隠さなくていいのに。綺麗な顔をしているんだから」

 勘の良い銀平は、彼女の顔の造作を見た瞬間全てを悟った。

 混血児だ。

 何故この子が前髪で顔を隠すのか。何故、クラスの中で存在を消そうとしているのか。

 戦時下、敵国の血を引く娘として迫害を受けてきたのだろう。

 銀平は、状況は違えど同じだ、と思った。だからこの子はじぶんの事も見抜いたのかもしれない。

 この子なら。

「綺麗?」

 戸惑う恵美子に銀平は優しく語り掛けた。

「そうだよ。君はもっと自信を持っていいよ」

 恵美子は前髪を手でそっと持ち上げて銀平に顔を見せた。銀平はその双眸に、頷き柔らかな笑みを浮かべた。

「うん、やっぱり。君はもっと胸を張って生きるべきだよ」

 銀平の言葉に恵美子の顔が綻んだ。

「じゃあ、松平君も、無理をしないで自然な感情の下に生きていいのだと思う」

 自らを雁字搦めにしていた呪縛のような過去から、解き放たれる。自分の感覚に逆らわず生きる事ができたら、どんなにか幸せだろう。

 銀平は、胸に手を当てて目を閉じた。

 この出会いは神様からの贈り物だ。

「もしかしたら、君と僕は同じかもしれないね」

 優しい春風に舞う桜色の花吹雪は、北国に春が来たことを教えていた。




 列車に乗り込んだ学生服の子供達を見送る親達。はたまたホームの別の場所では見送りの教諭の話をを整列して聞く学生達の群れ。今まさに、大きな荷物を抱えて列車に乗り込もうとする子供達。

 駅構内は歩くのもままならない程混雑していた。

 絵美子は背広にハット姿の銀平に手を引かれ、人を掻き分け進んで行った。発車ベルは間も無く鳴る。そう思った時だった。

「エミー、帽子を目深に被り直して!」
「え?」
「アイツらがいる」

 恵美子の心臓が、バクンと一際大きく波打った。

 帽子のツバで顔を隠しながら前方を見ると、あの館の羽織姿の男が二人、列車の中を覗き込んだりホームを見渡しながらこちらに向かって歩いてくるのが見えた。警官まで一緒だ。

 ここまで探しに来ていたなんて!

「ダメだ、本当はもう少し前の車両に乗せてあげたかったんだけどエミー、この辺りで」
「松平のぼっっちゃん?」

 乗り込めそうな車両の入り口を見つけた時、銀平が突然知り合いに声を掛けられてしまった。

「どうしたんですか、そんな格好をして!」

 子供を見送りに来たのであろう。夫婦と見られる中年の男女がニコニコとお愛想を振りまきながら銀平の傍にやって来た。

 こんな時に。

 銀平は内心ほぞを噛みながらも笑顔で対応した。ここで下手に逃げれば目立ってしまう。そうすればせっかく逃がそうとした恵美子をあの男達の目に晒す事になってしまう。

「これは佐藤さん! こんな所で奇遇ですね。お子さんのお見送りですか」
「そうなんですよ。今先生の話を聞いている所でね。それが終わるのを待ってるんですよ」
「お子さんとの暫しのお別れ、寂しくなりますね」
「いやいや、これで肩の荷が下りるってもんですよ」

 銀平は大人相手に世間話を繰り広げる。目の前の旦那と奥方の視線を優美な笑みと巧みな話術で自分に集中させ、恵美子をさり気なく背後に隠した。他人であると見せかける為に。

 気になるのは、ホームの向こうーーまだ十メートルほど先ではあるがーー見え隠れする恵美子の追手だ。

 銀平も恵美子も破裂しそうな鼓動と背中を伝う冷や汗を感じながら目の前の夫婦に、早く行ってくれと祈った。

 追手の男達があと数メートルのところに迫って来た時、夫婦は「では」と話しを切り上げようと動いた。銀平と恵美子はホッと息を吐こうとしたが。

「そう言えば、松平の坊ちゃんは、こんな所になぜ? そんな格好で」

 愛想笑いを浮かべてはいるが、旦那の目の中には何かを掴んでやろうという魂胆が見え隠れしている。何か都合の悪い事を見つければそこを突つく。父には敵が多いのだ。

 銀平は背後で息を飲み体を強張らせる恵美子の気配を感じたが、平静を保ったままにこやかに応えた。

「僕は、父の代わりに親戚の子を見送りに来たのですが、見失ってしまいましてね。今、探していたところです」
「そうでしたか。それはそれは」
「見つかると良いですね。では、私たちはこの辺で失礼します」

 夫婦は微かな落胆の色を滲ませた愛想笑いを浮かべ、去って行った。

 彼らが人混みに紛れ見えなくなった代わりに、恵美子を追ってきた男達が近くに迫っていた。

 気付かれたら終わりだ!

「エミー! さあ、早く乗り込んで!」
「うん!」

 生憎、混み合っている入り口を選んでしまった。しかし、発車ベルが鳴り始め、時間もない。少し空いていそうな前方に行けない。

 銀平が前を窺った時、近くに迫っていた男の一人と目が合ってしまった。

 まずい!

「早く!」

 前でもたついていた子を押し込み、銀平は恵美子を列車に乗り込ませた。男達の声が聞こえる。

「あれは、松平の!」
「そう言えばアイツは松平のボンといつも!」

 早く閉まれ、ドア!

 発車ベルがけたたましく音を立てる中、握り合っていた手を、銀平は離した。

「銀ちゃん!」

 ゆっくりと閉まり始めるドアの向こうに涙を零す恵美子の顔が見えた。

「いつかまた、銀ちゃんと弘前の桜を見たい!」
「僕もだよ!」

 互いに言葉を言い終わらないうちにドアが閉まった。機関車の汽笛が鳴り、ホームをゆっくりと列車が滑り出した。

 銀平は、去って行く列車は追いかけない。

「エミー、へばね」

 銀平はすぐにハットを深く被り直し雑踏の中に紛れ、男達に追われる事はなかった。

【続く】

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