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長男の話11【臨床心理士と喧嘩】



プレ幼稚園にも通い、親子教室にも通い、
めーくんの「経験」としての集団行動は充分な日数だったと思う。


ある日はプレ幼稚園でみんなのカードゲームをバラバラにし、
またある日は親子教室で先生の紙芝居を奪いにかかる。 
発達の遅れの原因が経験不足だったなら
どんなによかったか。


親子教室に参加して5回目の日、
めーくんが珍しく調子が良い日があった。
はしごをわたって滑り台をすべるコースもかつてなくこなし、
名前を呼ばれたら「はーい」と返事もして
私の膝に座って活動をゆっくり見ることも出来た。
風船のカードの色の名前も言えたので
他のママにも「すごいね」と褒められた。


親子教室の後には心理士や元保育士のスタッフと話す時間がある。
毎回どうでしたか?と聞かれ
特性を認めていなかった私が「今日はこんなことが出来ていた」とプラスのことを言っても
心理士にはすかさず「待てなかったですね」などとマイナス面の指摘をされる。


初回相談の時に対応してくれた若い心理士。
めーくんの調子が良かった日にはじめて
彼女から「療育という場所があるんですけど」
とパンフレットを渡された。

当時の私は「療育=障害の重い子」という認識があり、
「療育」というワードを出されるとものすごい腹が立った。



私「そんなに気になりますか?それは、心理士さんひとりの判断ですか?」


心理士「いえ、私を含むみんなで話したことです」


私「今日の様子を見ても通った方がいいということですか?
いつそう決められたんですか?」


心理士さん「これまでの様子を見て、療育に繋げた方が良いと思った方にはすすめています」


私「じゃあ今日できたことは、、?
今日の様子は判断材料には入っていないということですよね?」


心理士さん「それは、そうですが、、、」




今思えば最悪な親だな。
心理士の女性も困っていた。
それでも子育て経験があるわけでもない若い女性に、あまりに当たり前のように療育を勧められるのは腹が立って仕方なかった。


成長したと思ったし、
本人もよく頑張ったと思えたこの日に
療育を勧められるなんて。


笑顔ではしゃぐめーくんの顔をみると
涙が溢れてきて
「なんでこんなに可愛いのに障害者扱いをされなきゃいけないんだろう」
あまりに無知な私はそう思うしか無かった。


「お母さん大丈夫よ。
パズルだってできるんだから」
私は元保育士の皆様に励まされながら
親子教室の場を後にした。


 


今思えば心理士さんは悪くない。
この手の仕事は厄介な親に当たったときが
1番つらいことだろう。


でも理解して欲しい。 

障害受容していない親にとっては
療育に通うことも診断を受けることも
決してスっと受け入れられるものではない。

そこでおそるおそる「療育」というワードを出されていたなら
私もこんな攻撃的ではなかったと思う。
当たり前に障害がある子という扱いをされるのは
今現在でもやっぱりモヤモヤする。





親子教室で終わらなかった。療育に繋がってしまった。
やっぱり愛する我が子は障害者。
当時の私にはそんなこと、受け止められるわけがない。



それでも受け止めるしか前に進む道はないのだ。










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