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自分にかけた呪いを解いたら、読書がまた楽しくなった

本をよく読む子どもだった。

父は出張のたびに、新しい本をお土産に買ってきてくれた。
次はどんな本だろうと、幼心に楽しみだった。
小学校では、1,000冊を読破して表彰された。
本に没頭するあまり、よく電車を終点まで乗り過ごした。
歩きながら本を読んで、道ゆく大人に注意されていた。

それが社会人になって、急激に本を読む頻度が落ちた。
忙しいからだけじゃない。
どうやら私は自分に呪いをかけていたようだ。

本が読めなくなった20代の自分

小学校には、学年に応じた「推薦図書リスト」があった。
中学・高校も、図書館に行けばオススメの本が並べてあった。
大学では、教授や先輩が読むべき本を薦めてくれた。

ところが、社会に出てみると、世界は本の洪水だった。
色んな人が、色んな尺度で、色んな本を薦めていた。

20代の私は、いわゆる「名著」「古典」「ベストセラー」と呼ばれる本を手に取っては、なかなか読み進められずにいた。

それを何度も何度も繰り返して、本棚に積み上がった、本、本、本。
読了する本は年に数冊。

あんなに本を読むのが好きだったのに、大人になった途端、どうして読めなくなってしまったんだろう。

「良書を読まなければ」という呪い 

その答えに気付いたのは、30歳を過ぎてから。 
どうやら私は、学校の先生に言われた「良書を読みなさい」という言葉を、ずっと守っていたようだった。

大人に読んでいることを知られても恥ずかしくない本。
周りの人に「おっ、こんな本読んでるんだ」と一目置かれる本。
「こんな本を読んでたらかっこいいな」と自分が思える本。
無意識に背伸びして本を選んでいたと思う。

「面白そう、読んでみたいな」と思う本があっても、頭の中の先生が「そんな低俗な本を読むのはやめなさい」と警鐘を鳴らす。
だんだん本を読むのが息苦しくなっていた。

自分が読みたい本を読む

今の私は、自分が読みたい本を読んでいる。
週に一度は、本屋さんの中をあてもなくブラブラする。

私は、本屋さんが大好きだ。
本を読んだ向こう側に、自分の知らない世界が広がっているのをイメージする。
新しい本を読み終わった自分は、読む前の自分とは違う人。
そう考えると、大げさだけど、本と一緒に今と違う未来が手に入るようなワクワクした気持ちになる。

その時の感覚で「面白そう」と思った本を自由に手に取って、ペラペラとページをめくってみる。
そうして手に取った本のうち、何冊かビビッときたものを買って帰る。

読んでみて、途中でそっと別れを告げる本もあれば、「これはまさに自分が求めていた本だ!今この本に出会えてよかった!」と思う本もある。
自分が読みたかった本だから、どんな本にあたっても興味深い経験になる。

良書かどうかは自分が決める

そもそも、「良書」ってなんなのだろう。

私にとっての良書は、知らなかった世界を教えてくれる本。今日からの自分の行動を変えてくれる本。大人になってから日常生活の中では抑え込みがちな感情を、大きくゆさぶってくれる本。

その本が良書かどうか決められるのは、読んだあなただけだ。良書の基準もあなたの中にある。

自分がかけた呪いを解いて、読みたい本を読もう。
35歳になった私は、子どもの頃のように、毎日本を貪り読んでいる。

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