野に咲く花のように
毎年、年賀状を送ってくれる同級生がいる。
今年の年賀状は、やや遅れて2月に届いた。彼は3人の子どもと奥さんと一緒に、遠く離れた北国に暮らしているらしい。去年母校を数回訪れる機会があって、建物はガラリと変わっていたけれど、あいちによく元気をもらったことはしっかり思い出したよ、と綴られていた。
高校時代、わたしは彼に片想いをしていた。
彼は同じ学年で入学したけど、1年留学して、帰国してからは1つ下の学年で勉強していた。
弾ける元気玉みたいな高校生だったわたしは、留学帰りで大人びた雰囲気を纏った穏やかで優しい彼に憧れていた。
彼は音楽が好きで、お昼休みによく1人で体育館のピアノを弾いていた。それを聞きに行って、午後の授業がはじまる前に教室に戻る彼とおしゃべりするのが好きだった。
卒業式を間近に控えたある日、先に卒業していくわたしに、彼が体育館の裏でギターの弾き語りをしてくれた。
玉置浩二さんの「MR.LONELY」という歌だった。
「学生時代にできた友達は一生大事にしなさい」と、周りの大人たちからよく言われていた。
まもなく高校卒業から20年。
その意味がようやくわかってきた気がする。
彼は、家柄とか、仕事とか、持っている人脈とか、お金とか、既婚や子持ちという属性とかそういう物事に関係なく、ありのままの自分を好ましく思って友達になってくれた相手。
きっと高校生のわたしは、野に咲く花のように、小さくても健気に明るく、そよそよと風に吹かれて咲いていたのだろう。それが本来の自分のよさだなと今でも思う。
多感な青春時代の思い出は、20年経っても忘れない。その頃に肯定してもらった自分のよさは、20年後も変わっていない。
こんな風に本来のわたしを認めてくれる存在がいるということが、時に人生が思うように進まない時も、自分の支えになるんだと思う。
前回、彼に年賀状の返事を送ったのは、いつだっただろう。思い出せない。実家の住所に送られてきたということは、結婚して新居を構えたことも伝えられていなかったのだろう。
しばらく連絡をとっていない人と話をする時、わたしは少し身構えてしまう。まるで、相手と会っていなかった時間に、自分の人生が順調だったことを証明しないといけないかのように。
でも、おそらく、近況なんて問題ではないのだ。聞かれたら「元気にしてたよ」ってサラッと答えればいい。
近況なんかわからなくても、当時のことを一緒に思い出すだけで、あたたかい気持ちになるものだ。そして「あなたを想っていたよ」と伝えることは、時に相手の力になる。
今年は彼に返事を書こう。何を書こうか。20年前と変わらない、優しく大人びた彼の字を見ながら考える。
彼はわたしの便りを読んで、どう感じるだろう。
わたしの字は、あの頃から変わっているだろうか。
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