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自分を棚にあげて意義申し立てるヒト

美容師をしていると、良く先輩の悪口や、お店の不満、自分自身の不幸話を良く耳にする事がある。
いや、美容師でなくとも、新橋のガード下を歩くだけで、どこからともなく、そんなもくもくと煙たい話がいつの間にか花を咲かせてヤンヤヤンヤと盛り上がっている。
基本、そんな話をツマミにすると仲間同士盛り上がるものだ。

しかし、そんな「なにか」に声を荒げて、環境や、人をどんどん変えていく渡り鳥のような人で、すごく幸せそうな人をあまり見た事がない。
これは、環境をしょっちゅう変えたりする事に対して感じているものではなく、やはり常に自分以外のモノ、ヒト、コトに異議申し立てをし続けている人に対して思うことだ。

たしかに、すぐにキレて怒鳴り散らしてくる先輩がいたら辛い。
たしかに、ラインを既読無視するような後輩がいたら腹が立つ。
嘘をすぐつく人。休みが全然ない会社。
例えを出せばキリがないが、基本自分のまわりでおきている様々な事に、「いい」「わるいか」のジャッジが頭の中で常に行われていて、
今日も「わるい」ジャッジに対しては、ちょっと日の当たらない場所で愚痴として処理をしてしまう。

しかし、残念な事にこの「わるい」は、世界中のそこら中に落ちていて、しかもタチ悪くちょっとやそっとでは、見分けがつかなくなっている。

だからこそ、気づくしかない。
この自分の脳が「わるい」とジャッジしたものに対して愚痴を言っているだけでは、自分自身が幸せにはなれないという事に。

冬になれば寒いといい、夏になれば暑いという。
寒いのが嫌で、暑いのも嫌であれば、
当たり前のように冬を嫌いになるし、夏を嫌いになる。

しかし、季節は強制的に1年周期でやってくる。日本という場所を選ぶ限りはこの事実に向き合う他ない。
これに対して「なんで夏が来るんだ!」と怒った所で何の解決になるのだろうか。

これを解決するには
頭のスイッチを切り替える必要がある。
「わるい」を探す機能をひっくり返して、
「いい」を探す機能を脳に搭載する。

冬が寒いのではなく、「暑くない」
夏は暑いのではなく、「寒くない」

そんな風に少し脳を切り替えると、
日頃の問題に対して気づく事が出てくる。
それは、常に『他責』だという事。
その字の通り、悪い事は自分のまわりのせいで起きているという考えだ。

先輩がすぐにキレるのは先輩の性格のせい。
後輩がラインを無視するのは常識がないから。

もっともらしい答えのようで、全く持ってそこに対して『自分が何をしているか?』のクエスチョンは出てこない。

完全に自分は棚の上から、高みの見物を決め込んでいる』

だからこそ、それを自責にしてみるだけで世界は一変する。

先輩をすぐにキレさせてしまう自分の行動、言動でなおせることはないのか。

後輩に対して、自分の教育はできていたか?もしくはきちんとした関係性を構築できているのか?

全ての物事を自分ごとに変えるだけで、見えてくるモノ、行動が変わる。

自分がまだまだ偉そうに言える事ではないが、やっぱり自分がやれていない事、気づけていない事に動こう、気付こうとする事で、目の前に溢れ出てくる「わるい」を解決させてくれる。

その『自責』を考えられる能力には段階がある。
まずは、今日寝不足なのは、アマゾンプライムを見すぎた自分のせいだ。
からでいい。
決して、寝れないくらい面白いコンテンツをつくりあげたアマゾンのせいだ!とは思ってはいけない。

どんどんそんな風に『自責』を念頭において行動する。

そうすると、コロナでの被害における自責の考え方や突発的に起こる事象ですら、自分事として考えられるようになってくる。

常に、
「自分は何が出来るのか?」
「自分は何をしたのか?」

そんな事を考え毎日を過ごしていく方が、
よっぽど幸せな事なんだとおもう。


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