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【小説】烏有へお還り 第33話

   第33話

 自動ドアが開くのももどかしく、柚果は生涯学習会館に駆け込んだ。息を弾ませながら周囲を見回す。

「和志くん……」
 手にしたスマホを見つめた。和志との電話が途中で切れてしまってから、かけ直しても応答がない。嫌な予感が胸に押し寄せる。

「さな恵先生、手分けして探しましょう」
 と言って駆け出した柚果の背に、

「だめ!」
 さな恵が鋭く叫んだ。柚果が驚いて振り返る。

「柚果ちゃん。一人にならないで」
 言いながら、さな恵が柚果の腕を取った。険しい顔で首を振る。

「ね、絶対にわたしから離れないで」
 その真剣な顔に、柚果はそっと頷いた。

「昔、ここでね……」
 さな恵が呟き、柚果を掴んでいた力を抜いた。下瞼がぴりっと震える。

「わたしが目を離したばっかりに、亡くなってしまった子がいるの」
 そう言って、さな恵が苦しそうに顔を歪めた。柚果の脳に、さっき聞いた『十年前』の出来事が蘇る。

「わかりました」
 柚果はさな恵と共に生涯学習会館の中を歩き回った。柚果が入ったことがある部屋は『多目的室』と『図書室』だけだが、それ以外にも館内はたくさんの施設がある。

「念のため、フリースクールに行ってみましょう」
 歩いていくと、ふと廊下の隅になにかが落ちているのを見つけた。見覚えがある。母のスマホだ。急いで駆け寄ると、

「和志くん!」
 廊下を折れた先にある階段で、和志が倒れていた。柚果がその背中に恐る恐る手を触れる。

「柚果……」
 和志が目を開けた。重そうに頭を抱え、半身を起こす。空調があまり届かない階段はひんやりとしていたが、和志はびっしょりと汗をかいている。

「早く。お母さんが……」
 和志の視線の先に目をやった。階段が続いている。

「気をつけて……」
 言いながら、和志が壁に手をつき立ち上がる。しかし次の瞬間、顔を引きつらせて頭を抱えた。

「和志くん!」
「いいから、早く行って……」
 和志が苦しそうに首を振る。

「ありがとう、和志くん!」
 柚果はさな恵と共に階段を駆け上がった。息を弾ませながら上りきると、屋上へ続くドアがあった。

「鍵は……」
 柚果の呟きに、さな恵がドアノブに手をかけてそっと回した。ドアが開き、雪の白さが目を刺す。

 外へ出て辺りを見回した。真っ白な世界の中で、ぽつりと濃い色が目を引いた。誰かがフェンスの向こうに立っている。

「お母さん!」
 柚果が叫んだ。振り返ったその顔を見て、目を瞠る。

 制服姿の女の子は、祖母の家のアルバムで見た母とそっくりだった。目元が柚果と似ている。

「こっちに来ないで。死ぬんだから!」
 女の子が叫んだ。今よりも若いが、母の声だ。

 隣には知らない女性が立っている。

「お母さん、お願い、落ち着いて!」

 母の横に立っている女性が、じっと柚果に視線を移した。背中にぞくぞくと寒気が走り、叫び出しそうになるのを必死で堪える。

『さな恵ちゃん、久しぶりね』
 女性が笑みを浮かべた。柚果の隣で、さな恵ががたがたと震え始める。

「吉川さん……」
 柚果は目を瞠った。雪の上には足跡が一人分しかない。母のものだ。
 吉川の足元の雪はきれいなままだった。姿ははっきり見えているのに、実体がないのだとわかる。

「柚果ちゃんのお母さん、その人から離れて下さい!」
 さな恵が叫んだ。吉川が悲しそうに顔を歪める。

『ひどいわ、さな恵ちゃん。わたしは由利香ちゃんの味方なのに』
 そう言って、母に向かって首を傾げた。

『ねえ、由利香ちゃん』
 母がまるで小さな女の子のようにこくりと頷く。


「話を聞いてくれて、わかってくれるのは吉川さんだけ……」


 ──話を聞いてもらえてすっきりした。わかってもらえてウレシかった。


 志穂の残したメモが柚果の頭に蘇る。

「吉川さん」
 さな恵が一歩近づいた。フェンスの向こうをじっと見つめる。

「十年前、あの二人がここから落ちた時のこと……わたし、後になって気づいたんです」
 吉川が微笑み、さな恵の言葉を促すように頷いた。

「吉川さん、あの時こう言ってましたよね。『さな恵ちゃん、二人がいないの!』『戻ってきたら二人の姿がどこにもない』って」

 柚果は息を詰め、さな恵の横顔をじっと見た。胸がざわざわする。

「でも、それっておかしいんです。あの時、吉川さんの後から、わたしも二人と一緒に車を離れたんですから」

 さな恵は険しい顔を吉川に向けた。

「だから本当なら、戻ってきたわたしに、吉川さんはこう言うはずだったんです。『さな恵ちゃん、どこ行ってたの? あの二人はどうしたの?』って」

 柚果の背中に寒気が走った。吉川の笑みが顔じゅうに広がった。輝く目をさな恵に向ける。

「もう一つ。警察が調べたら、屋上は破られたのではなく、鍵を使って開けられて、そのまま放り出されていました。けれども鍵が保管されていたのは管理室です」
 さな恵が、階下の管理室がある方向へ顔を向ける。

「二人がわたしから離れた後に、管理室から鍵を盗むことはできません。なぜなら、そこにはずっとわたしがいたからです」

 職員がお菓子の値段を調べている間、さな恵はそこを離れることができなかった。

「では、屋上の鍵はいつ誰が取ったのか。吉川さん、あなたですよね」

 さな恵の問いに、吉川は声を立てずに笑った。





『ええ、そうよ。管理室からこっそり鍵を抜き取って、屋上の鍵を開けておいたの。だって、あの日に二人が死ぬことはもう決まっていたんですもの』




 冷たい風が吹く。雪があとからあとから降ってきて、視界がかき消される。柚果は身震いして、両腕を身体に巻き付けた。

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