見出し画像

【小説】コトノハのこと 第13話

   第13話

 信号待ちで足を止めた。息を整えるつもりが、強く弾んで止まらなくなった。横隔膜が震えて嗚咽のような音を漏らし、心臓はますます慌てて早鐘を打つ。

 膝に手を置き、肩を上下させていると、向こうから来た人たちがちらりと視線を投げかけながら通り過ぎていった。

 信号が青になる。渡り終えた先にある陸橋を、重い脚を蹴り上げるようにして駆けあがった。段に足を引っかけて転びかけたところを、かろうじて手すりにしがみつく。

 上まで登ると、対岸のマンションが現れた。前の通りを自転車に乗った人が通り過ぎていく。人通りは多くない。
 目に届く範囲を見回したが、孫の姿は見えなかった。大きな声でその名前を呼んでやれないことが悔しい。

「あっ、お父さん!」

 陸橋を降りると、マンションの入口から、スマホを握りしめた娘が出てきた。私を見つけて駆け寄ってくる。

「ハナ、ひょっとして家に戻ってるのかと思って、見に行ったんだけど」
 そこで言葉を切り、両手で口を覆った。

「どうしよう……」
 指の間から涙がこぼれる。

『お父さん、どうしよう……』
 ふいに古い記憶が脳をかすめていった。娘が粗相をして、こっそり私に助けを求めてきたことがあった。妻には今でもばれていない、私と娘だけの秘密の思い出だ。

 あの時と同じように、頭にそっと手を置いた。娘がはっとしたように目を丸くする。じっと頷いた私に、娘も頷き返した。手の中のスマホに目をやる。

「もしもし、警察ですか」という娘の声を背に、私は公園に向けて駆け出した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?