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【短編小説】捨て猫リカ 第4話
第4話
「ママ。ダイエット中じゃなかったの」
菜摘の声に、わたしはふと買い物かごの中に目をやった。スーパーマーケットの入口すぐに山積みされていた特価のバームクーヘンとマドレーヌとカップケーキを、無意識のうちに入れていたことに気づく。
「ママが食べるんじゃないもの」
「ふうん、お客さんでも来るの?」
言葉に詰まる。返答の代わりに、マドレーヌとカップケーキを棚に戻した。バウムクーヘンだけは菜摘と夫のために残しておくことにした。
「ねえ、ママ。新しいヘアゴム欲しい。これもう飽きたし」
菜摘が自分の髪を弄びながら言った。
「こないだママが買ってきたじゃないの。あれ、どうしてつけないのよ」
「あれイマイチなんだもん。ハリネズミならなんでもいいってわけじゃないんだよ」
いっぱしの口を利く。ムッとしたので、仕返しのつもりで目の前でピーマンをかごに入れてやった。菜摘がたちまち渋い顔になり、口を噤む。
──理加はあの髪飾りをどうしたのだろう。
長ネギが目に入った途端、枯れ枝のようだった腕が思い浮かんだ。
きっと、店に返しに行くことはしなかっただろう。そんな勇気があれば、最初からいじめられることはない。
彼女の抱えている問題を、自分の力だけで解決しなさいというのは酷なことだ。そんなことは大人でも簡単にはできない。それがわかっていて、なにもしてあげられない自分が、彼女の弱さを責める資格などない。
あの日、汚れた制服を入れたビニール袋を提げた彼女を車に乗せ、自宅近くまで送り届けた。その道中でも、いくつか話をした。
おそろしいほど痩せているのは病気によるものではなく、身体は健康なようだった。
ただ、極度に緊張したりショックを受けると失禁してしまうという悪癖があった。
「そのせいで、伯母さんにはいつも迷惑をかけてしまうんです」
バックミラー越しに後部座席の彼女を見ると、そっと自分の二の腕をさすっていた。ぶたれているのだと察しがついた。
「ごめんなさい、もうここでいいです」
大きな通りを外れてから二回右折し、まばらに家が建つ静かな道で、彼女がふいに言った。
「おうち、どこなの?」
路肩に停め、振り返って尋ねたが、
「ここでいいんです。ありがとうございました」
そう言って身体を折り、頭を下げる。家の人に知られることを恐れているのかもしれない。
「あのね、これ」
財布に入っていたレシートの裏に、自分の電話番号を書きとめた。
「また遊びにおいでね。それでもし……なにか困ったことがあったら、ここに連絡して」
手渡すと、理加は目を見開いてから、にこっと笑い、
「ありがとうございます」
メモを大事そうに畳んでから、そっとスクールバッグの中に入れた。
「必ず連絡します。借りた服も返さないといけないし」
彼女はTシャツの裾をつまむと、そう言って微笑んだ。そして車を降りると、こちらが見えなくなるまで手を振っていた。
わたしは思っていた。きっと理加は電話をかけてこないだろうと。
それでもメモを渡すことが、わたしにできる精いっぱいのことだった───。
恨めしそうにピーマンをにらみ、口を尖らせている菜摘に目をやる。そっと頭を撫でると、
「ピーマンの肉詰めなら食べられるでしょ? ひき肉取ってきて」
と言った。ぱっと顔を輝かせて精肉コーナーに向かって駆け出す菜摘の、ぷっくりとしたふくらはぎを愛おしく眺めた。
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