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【小説】コトノハのこと 第14話

   第14話

 マンションに隣接した公園はさほど広くなく、入り口はひとつしか無かった。遊具はいくつかあるが、滑り台とブランコと鉄棒、それから砂場くらいしかない。小さな子供がずっと隠れていられるような場所があるようには思えなかった。

 滑り台の裏に回り込んでみたが、そこに孫の姿はない。ベンチや水飲み場の奥には何本かの木が植わっており、その先へ続く小径を水色の金網がふさいでいた。取り壊しが決まっている公営団地が見える。

『あの団地、ハナが小学生になる前には取り壊される予定なの』
 購入したばかりの新築マンションに招待された時に、窓の外を見ながら娘が言った。その腕には、生まれてまだ半年くらいの孫が眠っていた。

『あらそう。それなら安心ね』
 妻が応じた。この団地の評判については、かつて耳にしたことがあった。娘婿を慮ってか、賢明にも妻はそれ以上言わなかった。

 公園はマンションが立つずっと前からある。きっともともとは、団地に住む子供たちがここで遊んでいたのだろう。

 金網に近寄った。手をかけて揺さぶる。頑丈な作りらしく、びくともしない。おそらく小学生の男の子なら簡単によじ登ってしまうだろう。しかし、四歳の孫はどうだろうか。

 ふと足元に目をやった。木の陰に隠れてよく見えなかったが、金網の一部が破れている。
 まさか──はっきりと形にならない想像が、考えるよりも先に脳を駆け抜けた気がした。

 かがみこんで、破れた穴をよく見てみた。本来なら枠組みに固定されているはずの部分が外れ、ひしゃげている。誰かがわざと破ったというよりは、秘密の通り道としてずっと前から存在しているようにも見えた。

 穴はそれほど大きくないが、小さな子供ならわけなく通れるだろう。大人はどうか。

 身体を丸め、金網の向こうの地面に手をつきながら頭をくぐらせた。肩幅が少し引っかかったが、身体を斜めにすると、一気にするりと向こう側に出た。

 立ち上がろうとしたとたん、強い力で後ろにぐっと引っ張られた。足を滑らせ、尻をつきそうになったところで金網に宙づりになる。針金にチョッキの背中が引っかかっていた。

 手探りで外し、泥を払った。足元はぬかるんでおり、私が手をついた地面には他にも足跡がついている。孫のものかもしれない、小さな足跡もあった。

 目を凝らしながら、公営団地の敷地に入っていく。静まり返っているのは、誰も住んでいないからだろう。カーテンのかかっていないむき出しの部屋はまるで誰かの裸体のようで、急いで目を逸らした。

 建物は隣接しており、一つの前を通り過ぎると、すぐに次の建物が目の前に立ちはだかる。遠くを見渡すことができない。

 なにか音が聞こえた気がした。足を止める。

 耳を澄ませた。遠くの道を、大型の車が通りすぎる音だった。再び歩き出すと、また音がした。

「……!」
 誰かの声だ。私は方角を見定めて走り出した。音は建物にぶつかって、思ったよりも遠くから響いているようだ。

「!」
 一人の男が、小さな女の子の腕を引っ張っている。孫だった。泣いているとわかり、全身の血が燃える。

「おい!」
 走り寄り、体当たりするように男を突き飛ばした。地面に手をつきながら、驚いたようにこちらを振り返った顔は、まだ少年のようだった。

 倒れた孫を助け起こした。男が立ち上がる。背はそれほど大きくないが、黙ったままこちらに目をやる様子には、底知れない不気味さがあった。

「うちの孫になにをする!」
 大きな声で怒鳴り、孫を背中に庇いながら、男からじりじりと距離を取った。この男が逆上したとしても、孫だけは逃がさなくてはいけない。

 しかし男はふいと目を反らすと、反対側に向かって駆けだした。ぽかんと立ち尽くしたが、男が武器を手に戻ってくることを考えた。孫の手を取り、周囲を警戒しながら元の道をたどる。

 金網の穴をくぐり、公園に戻ったところで力が抜けた。孫の前に膝をつく。

「ハナ、どこも痛くないか」
 怯えた目のまま、孫が頷いた。とたんに、大粒の涙をあふれさせる。

「もう大丈夫だよ」
 と頭を撫でた。うわーんと大きな声で泣きだした孫を抱きかかえると、小さな腕が私の首に回された。

「さあ、おうちに帰ろう」

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