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【短編小説】逆ナンのすゝめ 第3話

   第3話

「あの……すみません」

 温かい季節になってきた。重いコートを脱いだ女の子の足取りも軽い。

 コートとブーツ姿も可愛いけど、せっかくだから中のコーディネートも見たいよね。
 いつものように声をかけようと、女の子が通りかかるのを待っていたら、離れたところでちらちらとこちらを見ている男が目に入った。

 別に見られるくらい構わないけれど、その様子が気になった。あちらは多分、キャッチかスカウトだ。こちらはただのナンパなのに、気にしないでほしいな。
 今日はちょっと河岸を変えた方がいいかもしれない。そんな風に考えていたので、自分が声をかけられていることに気づかなかった。

「あのっ……すみません」

 すぐ近くから聞こえた声に驚いて振り返ると、相手もまたびっくりしたように目を丸くしてこちらを見た。

 さらさらの黒い髪を背中に伸ばして、同じくらい黒のシックなワンピースを着た女の子。化粧っ気はあまりなくて、つるつるのゆで卵みたいなおでこをしている。

「ええと……ごめん。俺に声かけてくれた?」

 女の子は右手で口元を隠しながらそっと頷いた。

 おおぅ、可愛いな。

 いつも自分から声をかけるだけで、女の子のほうから声をかけられることには慣れていない。しかも、こんな可愛い子。
 わくわくしながらも、しっかりと冷静さをキープした脳が危険を訴えていた。

 まず考えられるのがキャッチセールス。試供品がもらえるとか、芸能人に会えるとか、うまい話にほいほい付いていくと、どこかの雑居ビルに連れていかれて、高い化粧品や健康食品なんかを買わされたりする。

 田舎者が引っかかりやすいけど、いずれにしろモテなさそうな人を選ぶのがポイントなんだって聞いたことがある。つまり承認欲求に飢えている人。
 誰だってステキな異性から声をかけられたら、そりゃあ嬉しくなっちゃうでしょ。そこを利用するなんてひどいな。

 とはいえ、俺はこれまでキャッチセールスに声をかけられたことはない。だから可能性は低いはず。

 次に浮かんだのがぼったくりバーの客引き。でもまだそんな時間帯じゃないし、女の子もそんな感じには見えない。大体、あれって二人組でやるものだしね。

 それとも、なにか俺の知らない新しい商法?

「どうしたの、俺になにか用?」

 俺はとっておきのスマイルを作り、精いっぱいの猫なで声で言った。
 たとえなにかウラがあったとしても、わざわざ声をかけてくれた女の子を粗末に扱うことなんてできないよ。

「あの、今、お時間大丈夫でしょうか?」

 女の子がためらいがちにそう尋ねる。

「俺? もっちろん。世界で一番ヒマ人だよ」

 俺の答えに、女の子はふっと表情を崩した。笑うとよけいに可愛いな。
 女の子はうつむいて眉を寄せ、何度かためらってから、やっと思い切ったように顔を上げた。

「今日って、ご予定ありますか?」

 そう言って俺の顔を見上げる。身長は百六十五センチくらい? 黒い靴は踵が低く、彼女の頭はちょうど俺の鼻先にある。

「え、なに、それってデートのお誘い?」
 そんなわけないって、百パーセント冗談のつもりだった。だから、

「はい」

 と女の子が真剣な顔で頷いた時には、本気でびっくりした。

「お願いがあるんです……。あの、わたしの恋人になってもらえませんか」

 女の子はそう言い、頭を下げる。さすがに言葉に詰まった。

 なにこれ、ドッキリ? どこかにテレビカメラがあるの?
 でも女の子の目は真剣だ。これが演技だっていうのならオスカー賞ものだよ。

 これが運命ってやつなのかもしれない。恋の始まりに前触れはいらない。そんなことを、どこかの誰かが言っていた。俺だけど。

 ナンパの時、ツカミで使う文句ね。俺だけど、までがワンパッケージ。でも、これは至言だと思う。恋は突然始まる。

 口を開きかけた俺は、次の彼女の言葉を聞いてひっくり返った。

「もちろん、ふり・・でいいんです。恋人のふり」

 おっと~危ない。あやうく本気で惚れちゃうところだったよ。セーフ。
 なるほどね、そういうこと。

 女友達の前で、あるいは元カレの前で恋人のふりをしてほしい。
 そういう頼み、けっこうあるのよ。何を隠そう、俺はそっちの道もエキスパート。

 見栄を張りたい女の子は多い。たいていはマウント返しかな。それぞれに事情があるんでしょ。詳しいことは聞かないよ。
 こう見えて口は固いから信用して。どーんとまっかせなさい。

「ありがとうございます」
 彼女は深々と頭を下げた。長い髪がさらりと肩をすべって流れる。

 こちらこそありがとう。可愛い女の子の頼みを聞いてあげる時ほど、男として嬉しいことはない。

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