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【小説】烏有へお還り 第18話

   第18話

 柚果の話を聞き終えた和志が、口元を曲げたまま小さく呻った。

「……難しいな……」
 慎重に言葉を選ぶ和志に、柚果も頷く。

『あの子の話を聞いてくれた人は誰なのか、それだけでも知りたいんです……』
 志穂の母の望みを叶えてやりたい。けれどもそれは、和志の言う通り決して簡単なことではない。

 相手は同級生とは限らない。違う学年かもしれないし、それどころか別の学校の生徒の可能性だってある。ひょっとすると中学生ですらなく、年上の人物かもしれない。

 図書館や公民館。それ以外に中学生が気軽に立ち寄れる場所はそう多くないが、学校とは別の場所に自分の世界を持つこともできる。

 その上、その相手とは直接会ったという保証もない。インターネットで知り合った相手だとしたら、探し出すのは途方もない。

 柚果が言うまでもなく、志穂の母もそれは理解しているようだった。

『先生には、あの子の学校での様子も聞いたんです』
 しかし学校の回答は、志穂の母の望むものとは違った。

 アンケートや、特定の生徒からの聞き取り調査の結果、「いじめの存在は確認できなかった」という結論が出された。訪問した担任からは「悩みごとがある様子は確認できなかった」という説明と共に、同内容が記された文書が渡された。

『志穂さんは、細かいことによく気づいてくれる優しい子でした』

 担任は、いくつかの志穂のエピソードを交えて伝えた。目についた汚れを教師が掃除していると、『手伝います』と声をかけてきたこと。前の日に欠席した生徒には、授業がどこまで進んだかを丁寧に伝えていたこと。誰も引き受けたがらない係に率先して手を挙げていたこと。

 耳を傾けているうちに、改めて柚果の胸が痛んだ。そんな志穂に対して、自分はなぜもっと優しくできなかったのだろう。

『あの子が特に仲良くしていたのは誰ですか』
 志穂の母の質問には、

『特定の誰かと特別に親しくしていたというわけではなく、色んな子とまんべんなくつき合っていたようです』
 という回答だったという。

『でも、あの子は誰かに胸の内を打ち明けていたんです』
 志穂の母は肩に提げていたトートバッグから、一冊のノートを取り出した。パラパラと開き、柚果に指し示す。

『話を聞いてもらえてすっきりした。わかってもらえてウレシかった』

 日記ではなく、授業で使うノートの隅に、小さな文字で書いてあった。

『わたしはあの子がなにか悩んでいたということすら、ちっとも気づかなかった。母親として不甲斐ないです』
 志穂の母が涙ぐむ。

『あの子はいつも、学校での様子を、楽しそうに報告してくれていたから……』
 柚果もまた、志穂の笑顔しか知らない。

 死を選ぶほどの苦しみを、誰にも、自分の母にも明かさず、笑顔の下に押し隠した志穂の心を思うと、少し怖いような気もした───。

「ひとまず、高田さんが学校で親しくしていた相手を探して、その人に話を聞いてみる」
 柚果の言葉に、和志はじっと険しい顔のままだった。あまり賛成していないことがわかる。

「その前に、まずはわたしが仲良くしてる友達に聞いてみたのね」
 栞と優愛の顔を浮かべると、自然と声のトーンが上がった。

 待ち合わせに遅れたことを詫びてから、志穂の母に呼び止められた事情を話すと、二人は驚いて言葉を無くした。

『高田さんのこと、どのくらい知ってる? 二人は同じ小学校だったんだよね』
 柚果の問いに、栞と優愛が迷いながら口を開いた。

 そこで初めて知ったが、志穂は五年生の途中から転入してきたらしい。最初に面倒見の良いしっかり者タイプの女子が彼女に声をかけ、志穂も友達に囲まれて楽しそうに過ごしていた。けれども、少しずつ彼女は浮いていった。

「どうして」
 和志の問いに、柚果はもどかしい気持ちで言葉を探した。自分もまた、志穂と積極的に親しくなろうとしなかった。その理由を、どう伝えたらよいかわからない。

「一応、ちょっとしたきっかけはあったみたい」

 ある時、班のみんなでやらなければならない作業があった。サボって帰った男子たちの作業を、志穂は笑顔で引き受けた。

『どうして引き受けちゃったの。志穂ちゃんのせいで、うちらまで大変じゃん』
『今日はピアノの日なのに』
 女子たちが文句を言うと、

『大丈夫、みんなは帰って。残りはわたしがやるから』
 志穂は笑顔で言った。男子たちを帰してしまったことを詫びる様子は一つもない。

「結局、女子たちは怒っちゃって。じゃあ志穂ちゃんが勝手に一人でやりなよって、ほんとに帰っちゃったんだって」
 すると、次の日になって担任から班の全員が叱られた。

『なぜ志穂さん一人に押しつけて、みんなで帰ったんですか? 志穂さん、一人で泣いていましたよ』
 元凶である男子たちは悪びれもせずに首をすくめただけだったが、女子たちは納得がいかず、怒りは志穂に向けられた。

『すごくいい子なんだけど、ちょっと空気が読めないというか』
 栞と優愛はそこで口を噤んだ。亡くなった人を悪く言いたくないという気持ちは柚果にもよくわかった。

「『空気が読めない』って言葉、好きじゃない」
 そこまで聞いた和志が、息を吐きながら呟く。

「わたしも好きじゃない。それに、自分も空気読めないタイプだと思うし」
 柚果が慌てて言った。

「でも……」
 栞と優愛を庇うわけではないし、志穂を責めるつもりはない。けれども───。

『自分いい人アピール、超キモイんだけど!』
 トイレで聞いた、志穂への陰口が蘇る。三人組を最後まで作れない子に声をかけに行く志穂と、班の作業を一人で引き受けようとした小学生の志穂が重なる。

 小学生の頃と同じように、ひょっとしたら中学でも志穂はクラスで浮いていたのかもしれない。

 それを一体なんと呼んだらいいのだろう。

「いじめの存在は確認できなかった」と学校は志穂の母に報告した。では逆に「いじめ」の線引きとはなんだろう。

 笑顔で合図を送る志穂に対して、自分がしてしまったことは、なんと呼ぶのだろう。

 ──人殺し。

 自分の心から聞こえてくる声が、ずっと柚果を責め立てる。

「大丈夫?」
 和志が尋ねた。その優しい響きに、自分の弱い心を委ねたくなる。このままなにもせず、時間と共に志穂の死を忘れていけばいい、と。

「……誕生日だったんだって」
 けれども、弱い心を剥いた中にある、種のような固い叫びを無視することはできない。

 志穂の母から聞いた、あの日の話。
 家族とのささやかな誕生パーティー。志穂のリクエストで、ケーキの代わりに大好物のプリンを食べた。受け取ったプレゼントを「ありがとう」と抱きしめていた。その夜、クローゼットのパイプに紐をかけて首を吊った───。

「それって、まるで」

 生まれてきたくなかった。
 そんな深い悲しみが伝わる。

 どうしてそんなことに。祝福されて生まれ、優しい母の元で愛されて育ったはずなのに。

『あの子の話を聞いてくれた人は誰なのか、それだけでも知りたいんです……』

 自分が志穂にしてあげられることは、もうそれしかない。

「わかった。でも無理はしないで」
 和志の言葉に、柚果は小さく鼻をすすり上げて頷いた。

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