![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/121224337/rectangle_large_type_2_efc60cb6348032a60f702f2ee2e278d6.png?width=800)
【小説】コトノハのこと 第5話
第5話
目が覚めたら、昼近くになっていた。ぼんやりとした頭のまま着替えてダイニングへ行くと、
「あら起きたの。今、様子を見に行こうかと思ってたのよ。具合はどうですか」
台所に立つ妻が振り返った。
「うん」
返事をして気づいた。声が出せている。
「大丈夫なの。ごはんは食べられますか」
「うん」
ほっとした。昨日のあれは一体なんだったのだろうか。わからないが、治ったのならそれでいい。
食事を終え、新聞を広げた。妻は買い物へ出かけ、私は和室で詰将棋をした。夕方は少し散歩をし、風呂に入る。普段通りの一日だった。
再び異変を感じたのは、夜になってからだった。
「さっき、ひろみから連絡ありましたよ。お父さん大丈夫かって」
食事をしながら、妻が思い出したように言った。
「大丈夫って言っておきましたけどね。あなた、具合は治ったんでしょう」
「ああ」
妻は小さく息をつくと、
「それにしても、ハナちゃんはもうすぐ幼稚園よ。ずいぶん大きくなったわよね。ついこないだ生まれたばかりの気がするけど」
懐かしむようにしみじみと頷く。
「ひろみはハナちゃんの言葉が遅いって心配するけど、幼稚園でお友達ができたらたくさんしゃべるようになりますよ、きっと」
昨日の孫の様子を思い出す。確かに、娘が幼い頃に比べて、口数が少ないかもしれない。しかし目はしっかりしているし、かすかに口元をほころばせた時の表情は、娘の幼い時の顔を思わせた。
「下にもう一人生まれてお姉さんになったら変わるわよ。早く二人目ができるといいんだけど」
独り言かと思われたそれらの言葉は、私に向けられていたらしい。気づくと妻がこちらをじっと見ていた。『そうだな』と相槌を打つつもりで口を開いたら、喉から出たのはかすれた空気だけだった。
ぎょっとした。咳払いをしたが、声が出ずに空気だけが漏れて、まるでむせたようになった。慌てて、茶碗に残っていたご飯を口に運ぶ。
「大丈夫? 喉に詰まったの」
水で流し込み、箸を置いて立ち上がる。妻の声が追いかけてきたが、逃げるように自室へ向かった。
頭から布団をかぶる。声を出そうと試みたが、駄目だった。
その夜はなかなか眠れなかった。なにかのモーター音がやけにうるさく感じた。何度も寝返りを打ちながら、私の頭の中には一つの仮説が浮かんでいた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?